ドイル村の前には、驚いたことに、ヒーリンに置いてきたはずの村長の車が停まっていた。フロントガラスがすっかり無くなっていた。この車は、どうやってここまで来たのだろう。おれは気になり、村長の家へ行ってみることにした。赤いドアをノックするとビッツの声が応じた。中をのぞくと、村長、ファビオ、スロップ、キーオ、ビッツがいた。ビッツ以外は壊れた人形のようになってソファや床の上で眠っていた。

「エヴァン、ケガしたんだって?」

 ファビオにくっついて横になっていたビッツが、周囲に気を使って小声で言った。

「なーに、ほんのかすり傷さ」

 一度言ってみたかった台詞せりふだ。

「傷、見せて!」

「悪趣味だぞ、ビッツ。で、そっちは? 調子はどうだ?」

「今はいいよ。それなのに、兄ちゃんたちはほら」ビッツはうんざりという顔でファビオたちを見た。「遊んでくれないんだよ」

「許してやれよ。大冒険だったんだ。ぐったりもするさ」

「そうだな。もともと、おれのためだもんな」

 大人びた口調だった。事情はすでに知っているらしい。おれのためだもんな、と、もう一度繰り返すと、ビッツは、ファビオの身体を抱えるようにして横になった。

「おお、エヴァンか」村長が目を覚ました。「傷は?」

「痛むけど、まあ、たいしたことない」

 またどうでもいい嘘をついた。村長は顔をしかめながら、ゆっくりうなずく。嘘偽りのない同情だ。後ろめたい。話題を変えよう。

「村長、外の車は?」

「ああ、あれか。例のタークスが乗ってきたんだ。代わりにトラックを回収していった」

「へえ。サービスいいな」

「でもなあ、ちょっと面倒なことになった。スロップを助け出すときに爆弾を使ったんだが、そいつで、建物の中にあった医療用の装置を幾つも壊してしまったんだ。知らなかったとは言え、おれたちの失態だ。その手のものは今じゃ作っていないからな。世界の損失は大きい」

しんはどうしろって?」

「中央広場で働けってさ。れいの建設」

 村長は派手に眉をひそめる。多くの人は、それくらいのことで済んで良かったと思うだろう。しかし、村長もおれと同じく、あの広場の連中を嫌っていた。あそこにいるのは、この期に及んで神羅の下で安心しようという、自立心のない連中というのが村長の評価だった。

「それはきついな」

「まあな。でも、ああ、仕方がないさ。従うしかないだろうな。神羅にではなく、おれたちが壊した装置を必要とする人たちへの償いだ」

 村長は、自分を納得させようと、懸命になっているように見えた。

「いや、それよりもエヴァン、赤毛からの伝言がある」

 レノからの伝言? 不意を突かれ、心臓がドキリとした。

「言葉どおりに伝えるぞ。裏切りやがって。覚えてろ──だそうだ」

「ああ」

 覚えていろ、か。まるで街のチンピラだ。

「なあ、エヴァン。おまえたち、あそこで何をしていたんだ?」

「それは──」村長が真っ直ぐにおれの目を見ている。「おれ、ルーファウス神羅に似ているだろ?」

「そうか? いや、そう言われれば──ああ、似てるな」

「ヒーリンで、見たか?」

「あの、車椅子の男か? やっぱりバカ社長だったのか」

「生きてるの!?

 ビッツが跳ね起きて驚く。

「しっ! みんなが起きる」

 村長にたしなめられ、ビッツは首をすくめる。

「今、せいこんの療養中なんだ。それで、回復するまでの間、やつらはおれをルーファウスの替え玉に使うつもりだったらしい。そんな話だった」

「──なんのためだ」

「さあ。知らないけど」

「引き受けるつもりだったのか?」

「まさか! 交渉決裂。険悪な状況だった。身の危険を感じたくらいさ。だからあのタイミングで村長たちが来たのは、おれにとっても運が──良かった」

 話している途中で気分が沈んだ。あれこれ世話になり、尊敬し、信頼もしている村長。その村長に、おれはくだらない嘘をついている。村長がげんな顔でおれを見ている。

「村長、おれ──」

「おれはいつか、その社長を殺してやるんだ。両親のカタキだからな」

 ビッツが突然、大人びた口調で言った。本当の事を話すつもりでいたが、おれがその社長の異母弟だと知ったら、ビッツ、そして、ファビオはどう思うだろうか。やはり、言えない。

「でも、エヴァン、村長さん、この話は兄ちゃんには内緒だよ」

「聞いてるぞ、ビッツ」

 ファビオがむっくりと起き出す。

「やる時はおれも一緒だ。ひとりでは、行かせない」

 兄弟が抱える神羅へのうらみがそれほど強いとは。おれが時々口にする、いつかやってやるとか、思い知らせてやるなんていうのと同じ程度の物言いだと思っていた。もちろん、おれは実行しない。しかし、このブラウン兄弟は違うのだろう。ファビオの行動力は本物だ。詰めが甘く、浅はかではあるけれど、やる時は、やる。

「なあ、エヴァン。タークスの伝言、聞いたか?」

「ああ、おれから話した」

 村長が言った。ファビオはうなずくと、心配そうな顔をおれに向ける。

「少しの間、姿を消した方がいいと思う。おれたちのことは、本当にチャラになるみたいだけど、エヴァンのことは許してないみたいだ」

「──ああ」

「あそこで何をしていたんだ?」

「神羅と──揉めてた」

 本当のことは、やっぱり、言えない。

「だったら、なおさらだ」

 ファビオがますます心配そうに言った。

「いや──」

 みんなが知らない理由で、神羅はもう、何もしてこないだろうと確信していた。レノは怒っているだろうが、ファビオが心配するような深刻な問題には発展しないだろう。しかし、おれ自身は、姿を消した方がいいのかもしれない。レノたちからではなく、みんなの前から。おれは──そう、出直す必要がある。

「ああ、考えておくよ」

 その選択肢しか残されていないような気がした。村長の家を出ると、チコが通りから中庭に入ってきた。右のほおぼねのあたりが紫色にれていた。殴り合った時におれの拳が当たったところだ。おれに気づくと、これ見よがしに鼻で笑い、自分の家へ入っていった。心の底からの軽蔑。そんな扱いも仕方ない。やっぱり、ここにはいられない。通りを見るとガラスが割れた車がまっていた。おれはきびすを返し、村長の家へ戻る。

「村長。外の車、借りてもいいかな?」

 努めて軽い口調で言った。

「ああ、逃げるのか? もちろんいいが、フロントガラスがない。それは我慢できても、燃料も残り少ないぞ」

「わかった。燃料はどこで手に入るんだ?」

「バッテリーと一緒にWROのトラックから盗んだ。もう、同じ手は使えないだろうな。まあ、車やバイクが走り回ってるわけだから、どこかで手に入るんだろう。少なくとも闇では流通しているはずだ。でもな、金がかかるぞ」

「だろうね」

「ちなみに、金はない」

「おれも」

 ファビオが悲痛な顔で言った。

「金は──心当たりがある。なんとかするよ」

「落ち着き先はどうなんだ?」

 村長が訊いた。

「それも、なんとかなると思う」

 おれは今日一日で幾つの嘘を重ねたのだろう。

「守ってやれなくて、申し訳ない」

 村長が目を伏せる。いたたまれない。

「そんなこと──それより、村長、キーを」

「ああ、そうだな。ほら」

 村長がキーを放った。それを受け取り──

「ありがとう。じゃあ、行く」

 おれは誰とも目を合わせないようにして村長の家を出た。閉じたドアを背にして、ため息をつき、うなだれる。やり直したい。人生をやり直せたら。もし、やり直せるとしたら、どこからだろう。村長の家に入ったところからか? いや、ちがう。おれは記憶を辿たどる。すると、その瞬間が、明確に見えた。


 十六歳の終わり際。テーブルの上のケーキをなぎ払う直前。


 もちろん、そんなことは不可能だ。しかし、代わりに出来ること、いや、すべきことがある。


  18 旅立ちの準備


 おれはこの二年、何をしていたのだろうと自分をしっした。おれがすべきこと、それは母を探すこと以外になかったはずだ。現状から逃げ出すための明確な理由を見つけただけ? そうかもしれない。しかし、それでもいい。この機会を逃すと、また先送りになる。遠くに押しやり、見て見ぬふりをしてきた問題に、ケリをつけるのだ。そうすれば、おれは出直せる。やり直せる。急げ。一気にやらないと、また気が変わる。

「おれは絶対に行く」

 声に出してみたが、止める声は聞こえなかった。内なるかっとうは、ない。早速、準備に取りかかった。しかし、いざとなると、何を持っていけばいいのやら見当がつかない。とりあえず、ショルダーバッグに衣類や細々とした生活用品を詰め込んだ。すると、それだけでバッグはいっぱいになってしまった。逆さまにして、中身を全てベッドの上にぶちまける。ルーファウスの銃があったので、まず、それを入れた。そして──おれは天井を見上げる。あの金を使う時が来たようだ。三脚椅子を運んで、部屋の中央に置く。上に乗り、腕を伸ばして天井板を押した。天井板が外れて、ぽっかりと穴が広がる。その中に右手を突っこんで探ると、指先に紙袋の感触があった。紙袋を引っ張り出すと一年分のほこりが落ちてきた。き込みながら椅子から降り、台所の流し台に紙袋を置く。中から札束を取り出そうと思ったが、袋の埃を払ってそのままバッグに放り込んだ。ミッドガルの家の、母の部屋にあった金だ。おれの金ではなかったが、母も許してくれるだろう。次は──なんだ? そう、あれが必要だ。ベッドマットの下に手を突っ込んで、写真の、薄い束を引っ張り出す。眺めて感傷に浸るわけではない。人に見せて情報を得るためだ。そして、衣類を適当にバッグに入れる。必要なら、買えばいい。金ならある。そう考え、ひとりで笑う。おれは金で変わるタイプに違いない。最後に天井板と椅子の位置を元に戻し、ベッドの上に散乱する衣類をしかるべき場所に戻す。秩序を取り戻した部屋を眺めて満足する。

「行ってくる」

 部屋を出てドアを閉じる時、おれはまたここへ戻ってくるのだろうか、と思った。わからなかった。深く考えると、どこへも行けない気がした。おれはドアを閉じ、鍵をかけた。


 通りに停めてあった車のドアを開け、運転席に乗り込む。村長からもらったキーを差し込む。グイとひねると、車体が一瞬震え、エンジンが低くうなり始めた。ヒーリンでは機嫌が悪かっただけなのかもしれない。燃料計をのぞき込むと、ほとんど空だが、あと少しは走れそうだった。これまで一度も車の運転をしたことはなかったが、なんとかなるだろう。横から見ていたことならあるし、しかもこの車はオートマチックという奴だ。アクセルを踏めば走り、ハンドルを回せば曲がり、ブレーキを踏めば止まる。アクセルをゆっくりと踏み込んでみるとエンジン音が大きくなり、それにつれて緊張も増した。しかし車は走り出さない。何故だ? ハンドル周辺にあるレバーを観察するが、どれもあまり関係はなさそうだ。ふと思いついて下を覗き込むと、Bと記されたレバーが目に入った。そのBを引っ張ったり、捻ったりしていると、車がゆっくり走り出す。完璧だ。

「エヴァン!」

 ファビオの声だ。慌ててブレーキを踏む。しかし、車は勢いよく走り出す。おれは足下を確認して、ブレーキを踏み直す。今度は急に踏みすぎ、ハンドルに胸を激しく打った。刺激的な音量でクラクションが鳴った。

「前途多難だね」

 近くまで来たファビオが笑って言った。そして窓から手を突っ込んできた。手には布袋が握られている。

「これ、みんなから。少しだけど、金だよ」

 ファビオはそう言って後方を見る。振り返ると、村長、ビッツ、少し離れてスロップとキーオもいた。ビッツが手を振る。おれも応える。

「ありがとう。もらっておく。みんなに、よろしく」

 押し問答をするつもりはなかった。

「うん。そっちも、キリエによろしく」

「え?」

「だって、しんにとっちゃ、キリエも共犯だろ?」

「ああ、そうだな」すまない。本当は、神羅との問題は全部解決しているんだ。でも、ファビオ、おまえには言えない。「じゃあ、行くよ」

 おれはアクセルを徐々に踏み込み、スピードを上げる。ルームミラーを見ると、ファビオとビッツが手を振っていた。いつまでも、振っていた。


 中央広場に向け、徒歩に毛の生えたようなスピードで車を走らせる。問題があった。スピードを上げると、本来ならフロントガラスが防いでくれるはずの風が直接顔に当たり、目を開けていられない。タークスはこの車で、ヒーリンからドイル村まで来たはずだ。いったいどうやって? これは、なんとしてでも解決すべき問題だ。

 運転は、まったく楽しめなかった。行き交う人々にぶつけないように気を配るのは想像以上に疲れた。ちつじょも何もなく人々が歩いている中央広場に車を乗り入れると、迷惑そうな、幾つもの視線が突き刺さる。人生の大半を歩行者として過ごしてきた者として、その気持ちはわかる。おれも車が通るときはいつもそうする。持たざる者の、せめてもの抵抗だ。しかし、負けてはいられない。非難めいた顔の相手には、同じ視線を返した。しかし、無意識のうちに、相手のようぼうによって表情を変えている自分に気づき、嫌になったのでやめた。無表情という仮面を被ってやりすごせ。広場を半周して抜けると、北東へ向かう道路に入った。このあたりに掲示板があったはずだ。ほどなく、おれは掲示板を見つけ、車を停めた。降りるとすぐに目的のチラシは見つかった。あちこちで見かける、ストライフ・デリバリー・サービスの宣伝用チラシだ。遠距離可能というフレーズに、おれは期待していた。がしてジャケットのポケットにねじ込もうとした時、中に、丸めた紙が入っていることに気づいた。取り出して広げると、同じチラシだった。記憶を探る。タイラン・アールド氏の話を聞いてから、駅の掲示板へ行った時にポケットにいれたチラシだ。おれは二枚のチラシを眺め、これは何か縁があるのだろうと思った。旅立ちの不安が少しばかり減った気がした。そしてまた車を走らせる。通りをさらに走り続け、今朝通ったばかりの路地の前で停めた。車を降り、おれはドレイク先生の診療所を目指した。


 診療所には先生が一人きりだった。待合室のソファで本を読んでいたらしい。

「ああ、エヴァン。どうした? 頭か?」

「ちがいます」

「油断は禁物だぞ?」

「はい。それで、先生。電話、いいですか?」

「ああ、いいぞ。どうぞご自由に。でも、急患の連絡があるかもしれないから手短にな」

 先生はあごで電話機を指し示すと視線を元に戻した。

「じゃあ、お借りします」

 おれは盗難防止用チェーンで壁につながれた携帯電話機を取り、チラシを見ながらプッシュボタンを幾つか押した。かなり長く呼び出し音が鳴ったあと、相手が出た。

「はい、こちらストライフ・デリバリー・サービス。何でも運べるというわけではありません」

 チラシに記された通りの文句で応えた声は、あきらかに子供だった。十歳前後の男の子。ビッツくらいだろうか。

「ええと──」想定外の相手に一瞬戸惑う。「そちらは荷物をどうやって運んでくれるのかな?」

「バイクです」

 少年が短く応えた。

「うん、良かった。じゃあ、頼みたいものがあるんだけど、取りに来てくれるかな?」

「何を運ぶんですか? それから、どこからどこまで?」

「エッジの端から端。荷物は──手紙なんだけど」

 どうしてこうなんだろう。ストレートに用件を言えば良くも悪くも、早く結論に達することができるはずなのに。物事をやたらと先延ばしにするくせに、避けるべきせんたくを選ぶ時だけは、考え無しに、おれは素早い。

「大丈夫だと思います。どこへ取りに行けばいいですか?」

「ドレイク先生の診療所ってわかるかな?」続けて、おれはだいたいの場所を説明した。謝って、本当のことを話すべきだと思いつつも、結局、できなかった。

「わかると思います。でも、担当者に連絡をしてみないと、いつ行けるかわからないんです。十分後くらいにまた電話もらえますか?」

「了解。じゃあ、十分後にまた。ああ、そうだ。おれの名前はエヴァン・タウンゼント。きみは?」

「デンゼルです」


 電話を置いたおれをドレイク先生が不思議そうな顔で見ていた。

「十分後にまた貸してください。ちょっと出てきます」

「おお」

 先生の返事を背中で聞きながら外に出た。診療所のスロープ状のポーチに立つと路地の入り口に停めた車が見えた。若い男が、車の横を通り過ぎようとして立ち止まり、ボディを蹴った。ファビオとレズリーが一緒の時、おれも同じことをしていた。そうすることで、スラム育ちの彼らと対等になれるような気がしていた。しかし、記憶を辿たどっても、二人がそんなことをするのは見たことがなかった。今さらながら、自分のバカさ加減にあきれる。時間まで車が盗まれないように見張るつもりだったが、いたたまれなくなり、診療所に戻った。


「そりゃ、わたしには無理だな──外傷ならなんとかできるかもしれないが──いや、でもさっきの話じゃ──いやちょっと待ってくれ──切られちまったよ。来る気かな」

 最後の方をおれに言いながら、先生は電話機を差し出した。

「内科もやってるんじゃないですか?」

「そうだが、犬はわからん」

「犬」

「そうだ。このあいだなんて蛇を連れてきた奴がいたぞ。あんなもの、半分モンスターみたいなものじゃないか?」

「そうですね」

「しかし、世の中、余裕が出てきたってことだな。ペットを飼い、具合が悪けりゃ医者に連れてこようなんて、食うや食わずの時代は終わったってことじゃないか」

「かもしれません」

「こりゃ犬と猫くらいは勉強しといた方がいいかもな」

「あはは」

 おれは適当に応えながら電話機のボタンを押し始めた。

「蛇はごめんだけどな」

「あはは」

 おれの失礼な応対に気を悪くする様子もなく、先生はソファに戻ると本を開いて読み始めた。いや、本と言うよりは、ファイルされた資料という感じだ。呼び出し音を聞きながら何気なく覗き込むと、ページ全体を占める写真が見えた。正体不明のグロテスクな物体の写真。よく見ると、ひじの上あたりで切断された腕だった。ほっそりとした、おそらく女性の腕。干からびているようで、しかし、ところどころみずみずしくもある。人の身体が、どういう経緯で、そんな状態になるのか想像がつかなかった。

「これか?」おれが背後から見入っている事に気づいたらしい先生が言った。「これはいわゆるミイラだな」

「ミイラ?」

「死後、環境が整えば、腐らず、骨にならず、こうなる」

 写真から、目を離せなかった。やがて、気持ちが悪くなった。

「こちらストライフ・デリバリー・サービスです。すいません、また後でかけてもらえますか?」

 今度は幼い女の子の声だった。予想した声ではなかったのでおれは言葉に詰まった。

「ええと──デンゼルは?」

 やっとの思いで言った。

「デンゼルは具合が悪くなっちゃったんです」

「おれもなんだ」

「お大事に」

 ガチャリという乱暴な音がして電話が切れた。どこかで聞いた声だと思ったが、思い出す努力はしなかった。写真が気になって仕方がなかった。


  19 仲間はずれ


「少し前に通った車、見たか?」

 ルードが言った。

「ああ、エヴァンが乗ってたな」レノは面白くなさそうに応える。「せっかく兄貴に会わせてやったのによ──社長も社長だぜ」

 ルードは、もし自分がエヴァンの、あるいはルーファウスしんの立場だったら、レノのおせっかいを迷惑に思ったことだろうと思っていた。

「どこかに顔も知らない兄弟がいるって聞いたら、おれは本気で探すぞ」

「さあな」

 仲間がいればいい、とルードは思っていた。

「あんた、肉親の情ってもんがわかってないな」

「どうせおれは冷酷で薄情なタークスだ」

 言い捨てると、ルードはレノに背を向け、トラックへと歩き出した。

「ルードぉ、怒ったのか?」

 レノの情けない声が呼ぶ。

「おれにはあんたしかいないんだよ。主任とイリーナには連絡つかねえし、社長はれいを完成させろとしか言わねえ。三人で何か面白いことを始めたにちがいない。おれたちものじゃねえか。あんたとおれ、おれとあんた、仲良くしないでどうするよ」

「主任と連絡がつかない?」

 ルードは振り返り、訊いた。


  20 ストライフ・デリバリー・サービス


「ジェノバと呼ばれていた。わたしの憧れのきみだ」

 そう言うとドレイク先生は写真を指さしてニヤリと笑った。

「腕ですよね? 女の人の腕?」

「そうとも言えるし、ちがうとも言える。ジェノバは人間の意識を読み、コントロールしたと言われている。また、細胞を使って様々な実験が行われた。この腕も、実験の産物だ。このミイラは人間の女であり、ジェノバでもある」

「わけがわからない」

「まあ、無理もない。ジェノバはしんカンパニーがずっと研究していた謎の生命体だ。大昔に宇宙から来たらしい。空から来たやくさいと呼ばれていた」

「宇宙──から?」

「そうらしいってだけだ。科学部門の連中がこぞって研究していたが、わたしは近づくことができなかった。研究職に憧れたが、配属されたのは軍の医療部門。おかげで結局お目にかかることはできなかったな」

 ほうも無い話に言葉を失う。神羅は宇宙から来た生物の研究をしていた。まったく、なんという組織なのだろう。その組織を指揮していたのがおれの父親、そして引き継いだ兄。もし、おれがあっち側にいたら──ルーファウスの堂々とした態度を思い出し、初めて、もしかしたら、おれが手にしていたかもしれない権力、身につけていたかもしれない器量について考えた。情けないことに、権力の座から追われ、フロントガラスのない車で街を去る姿しか思い浮かべることができなかった。


 ドアが開いて男が入って来た。硬そうな金髪の、整ってはいるが暗い顔をした男だった。

「もしかして、犬の人?」

 ドレイク先生がファイルを閉じて顔を上げ、迷惑そうに言った。

「犬?」

 男が、表情のない声で聞き返す。おれはふたりの会話の邪魔にならないように外に出た。診療所の前に大型のバイクが止まっていた。さっきの男のだろうか──と思った瞬間、おれは男の正体に思い当たった。デンゼルは約束どおり連絡してくれたのだ。デンゼルに感謝すると同時に、嘘を言って呼び出したことを思い出し、落ち着かない気分になった。どうしようか──つまり、このまま逃げようかどうか──迷っていると、男が診療所から出てきておれを見た。完全に目を合わせてしまった。

「ストライフ・デリバリー・サービスの人?」

 腹をくくるしかない。

「エヴァン・タウンゼントか?」

 男はうなずいてから訊いてきた。苦手なタイプだ。親しみを抱かせる要素が何もない。ぶっきらぼうな話し方。表情も乏しい。冗談も通じないだろう。

「さっき電話したらデンゼルが具合が悪いって。戻った方がいいんじゃないか?」

 親切心ではない。早く追い返したい一心。

「手紙は?」

 無視かよ。開き直るしかない。

「実は燃料が欲しいんだ。バイクに乗っているならどこで手に入れるのか知ってると思って」

「手紙は、ないのか?」

「ああ」

 殴られるか、蹴られるか、あるいはその両方を予想しておれは身体を硬くした。しかし男は何もせずにそのままバイクにまたがった。

しんかWRO」

 バイクのエンジンが静かに唸る。

「え?」

 聞いてから、燃料の入手先を告げられたのだと気がついた。

「ああ。でも、そのルートはダメなんだ。いろいろあってね」

「金はあるのか?」

「大丈夫だと思う」

「スラム。ウォールマーケットのドン・コルネオが扱っている。クラウドの紹介だと言え」

「わかった。ありがとう。おかげでニブルヘイムまで行けそうだよ」

 バイクを発進させかけていた男が、おれの顔を真っ直ぐに見た。

「何をしに行くんだ?」

「人捜しさ。おれは探偵でね」おれの悪友、虚栄心が、また、膨らんできたのがわかる。しかし、止められない。「行方不明のソルジャーを探しに行くんだ」

「遠いぞ。やめておけ」

「行ったことがあるのか? どうやって行くんだ?」

 男は黙っておれを見ている。値踏みしているらしい。おれは目をそらすまいと歯を食いしばる。

「セブンスヘブンで聞け」

 男はそう言うとバイクをスタートさせた。セブンスヘブン? 意外なつながりに、おれは困惑した。


  21 ティファにすがる


 燃料はスラムのウォールマーケットで手に入るらしい。しかし、スラムを車で走り回るのは難しそうだし、停めておくと車ごとなくなってしまいそうだ。どこか安全な場所に停めて、先にセブンスヘブンへ行ってみよう。さて、どこに停めようか──ほどなく、安全な場所をひとつ思いついた。こうして車を走らせているきっかけを考えればばかばかしく、リスクがないわけではない。しかし、試してみる価値はあった。おれはのろのろと──顔面を直撃する風対策も急がなくてはならない──車を走らせて、中央広場に入った。れいの近くにしんのトラックが止まっている。歩行者たちの攻撃的な視線を浴びながら、おれはなんとか車をトラックの横まで進めて、停めた。鉄骨にとりついていた連中が、おれを見た。無視して車を降りる。レノがおれをにらんでいた。そのレノを真っ直ぐ見つめながら近づいた。

「やあ」

「──伝言、聞かなかったのか」

「聞いた」

「だったらよう、てめえ」

「聞いたから、謝りに来たんだ。昨日は悪かった。でも、兄貴が──」兄貴だと? 「ああしろって言ったんだ」

 レノはポカンと口を開けておれを見た。やがて顔いっぱいに笑みが広がる。

「やっぱりな! そうだろ! おかしいと思ったんだよ。だってよ、社長は銃を持ってたはずだからな」

 楽しそうに話すレノを見て、ルーファウス神羅を兄貴と呼んだことへの罪悪感が深まる。

「とにかく、信じてくれたのに裏切ってごめん。それを言いたくて」

「もういいって。で、どうだったんだよ。兄弟の対面は」

「まだピンと来ない」

「そうか。ま、そんなもんか。でもよ、たまに会いに行けよ。そうすれば、いろいろとわかりあえるってもんだ」

「うん、落ち着いたらそうする」

 そうだ。それでいい。落ち着くまでは、多少の嘘を自分に許そう。おれは嘘と隠し事のかたまりだ。そんなに突然変われない。母の消息が最優先だ。それさえわかれば、おれはきっと変わる。

「ちょっと車を置かせてもらっていいかな」

「おう、見ててやる。でも、車なんてどうする。エッジじゃいらねえだろ? 遠出でもするのか?」

「うん。旅に出たくなった」

 レノの眉間にしわが寄る。おれは失敗したのか?

「大丈夫か、おまえ。モンスター、結構いるぞ」

「まだ先の話。今はまだ準備中だ」

「まあ、とにかく、よく考えて決めろ。あまり、お勧めじゃない」

 どうせおれはビビリだ。しかし、気を使ってはっきり言わなかったレノがとても好ましく思えて、おれは素直に礼を言い、セブンスヘブン目指して歩き出した。歩きながら、何気なくれいを見ると、その横から、ルードがこっちを見ていることに気がついた。首を左右に、コキコキと鳴らすような仕草をしていた。サングラスの奥で、おれを睨み付けているような気がした。


 セブンスヘブンはいていた。おれにとっては都合がいい。ティファがいつもの微笑みで迎えてくれた。おれは初めてカウンター席についた。

「ここでいいかな」

「もちろん」

「ひとり? 珍しいね」

「たまにはね」

「紅茶でいい?」

「うん」

 ティファが紅茶の準備を始める。カウンター席は思いの外、居心地が悪かった。どう振る舞えばいいのか、わからなかった。

「実は、聞きたいことがあって」

「何かしら?」

「ニブルヘイムへはどうやって行けばいいんだろう?」

 ティファは手を止めておれを見つめた。

「どうしてわたしに聞くの?」

「それはティファが──」言いかけて、おれは、ティファがニブルヘイム生まれだと、すでに知っていたことに気づく。いつ知ったのだろう。ああ、思い出した。「ジョニーから聞いたんだ。ニブルヘイムの生まれなんだよね?」

「ああ、ジョニー」ティファが困った顔をした。「どこまで聞いたの?」

「どこまでって──ニブルヘイム生まれだってことだけ」

「そう──」ティファは形容しがたい、複雑な表情を浮かべた。「いろいろあってね」

「うん。みんな、いろいろあるよね」

 ティファの過去に興味が無かったといえば嘘になる。しかし、聞いてはいけないことなのだと、伏せた彼女の目を見て思った。

「何をしに行くの?」

「観光」

「あそこがどんなところか知ってるの?」

 ティファがおれを見つめる。本当のことを言いなさいと促すような、真っ直ぐな目だった。逆らえそうにない。いや、おれ自身が、本当のことを話したかった。たぶん、そっちだ。おれは嘘をばらまきすぎた。なんて悲しい奴だ。本当のことを聞いてください。切実に、思った。ショルダーバッグから、ニブルヘイムの写真を取りだしてカウンターの上に置いた。

「本当は、人を探しに行きたくて──」

 ティファが身を乗り出して覗き込む。おれは、集合写真の前列右端で笑っているグールド・アールドの反対側、左端で笑顔を見せている女性の顔を指さした。

「この人、おれの母さんなんだ。ここ、ニブルヘイムだよね? 撮影されたのは二年前。母さんは確かにニブルヘイムにいた。でも、その後は消息がわからない」

「二年前──」

「メテオの少し前だと思う」

 ティファの表情が曇る。ジョニーの話をした時とは違う顔だった。

「今もそこにいるとは限らないし、もしかしたら──」もう死んでいるのかもしれない。「でも、ニブルヘイムへ行かないと、おれは先に進めない。そんな気がした。いや、いろいろあって、逃げ出したくなった。母さんを探すのは、その口実かもしれない。わからない。でも、このままじゃ、おれはダメなんだ」

「そうか──」ティファはおれの前に静かに紅茶を置いた「それなら、行かなくちゃね」

 待つようにと言い残し、ティファは店の奥へ消えていった。おれは写真を裏返して、連絡先らしき男の名前と電話番号を見る。ニックス・フォーリー。番号は、ミッドガル六番街のおれの家。ニックス・フォーリーは、おれの家を拠点にして、集合写真の人たちの家族を探そうとした。どうしておれの家なのかはわからない。彼がミッドガルに戻った時には、勤め先のしんカンパニーは事実上機能していなかったし、もしかしたら、会社を使えない事情があったのかもしれない。とにかく、ニックス・フォーリーは、おれの家の電話、もっと言えば、おれを頼りにした。あんな出会いと、別れ方をしたというのに。

 やがて、ティファが、広げたままの大きな地図を持って戻って来た。それをカウンターに置くと──

「最新のルートが書き込んであるはずなんだ。二年前に世界中のあちこちで地形が変わってしまったことは知ってる?」

「いや。ああ、ライフストリームのせいかな」

「そう。でも、誰もきちんと調査していないから、まだ正確な地図がないの。これは実際に調べた地図で、かなり貴重よ」

 ティファは得意気に言った。

「ティファが調べたの?」

「まさか」

「ほら、ここがニブルヘイム。昔に比べると少しだけ行きやすくなってるかな」

 地図の上のティファの指先を見ると、確かにニブルヘイムと記されていた。しかし──

「ミッドガルはここだよね?」

「うん」

 おれはミッドガルからニブルヘイムまで、指先で地図をなぞってみた。やはり、どうやっても海に行き着く。

「海を渡るんだ。車じゃダメだな」

「でも、車があるとかなり違うと思うな」

 おれは改めて地図を見た。こんな広範囲の地図を見るのは子供の時以来だった。

「ええと──」

「まず、ミッドガルを出たら南へ行く。南西寄りね。そのまま海岸線を気にしながら進むとジュノンに着くでしょ? このジュノンの真下にアンダージュノンという小さな漁村があって、そこから船が出ている」

「船!?

「海を渡るんだもの。昔はこのジュノンへ行くのさえ大変だったのよ。東側からぐるっと回って、それだけで何日もかかった」

「はあ」

「行く気無くなった?」

「そんなことはないけど、旅なんてしたことないからね。大変そうだと思って」

 おれは紅茶をすすりながらニブルヘイムの位置を確認しつつ応えた。

「ミッドガル育ち?」

「うん。生まれも育ちも。出たことは──ない」

 タークスと一緒に行ったのは旅とは呼べないだろう。

「大丈夫かなあ」

 ティファが冷やかすような言い方をしたのでふと顔を上げた。声のトーンとは違う、真剣なまなざし。行くなと言っているようだった。広場での、レノの言葉を思い出す。

「お母さんはどうしてニブルヘイムに?」

 黙っているおれを見て、ティファが話題を変えた。

「男と一緒に、おれを捨てて出て行ったと思っていた。でも、偶然、さっきの写真が手に入ったんだ。母さんは、見たよね? 笑っていた。最初は腹が立った。何を笑っているんだってね」そうだった。腹が立った。「でも、気がついたんだ。あの笑顔は、おれのことを考えていたからじゃないかって。母さんは、おれもすぐに来ると思っていたんだ。だから、笑っていられた。それなのにおれは──」

 喋りすぎた、と我に返った。母さん母さんなどと連呼する男は最悪だ。おそるおそる顔を上げるとティファは変わらない真剣な顔でおれを見ていた。

「実はね──わたし、その頃一度ニブルヘイムへ行ったの。でも──」

「母はいなかった?」

 ティファは天井を見つめ、そしてまたおれに視線を戻す。

「ごめん、なんとも言えない」

「何か知ってるって顔だ」

「村はすっかり変わっていて、暮らしている人は知らない人たちばかり。その中にあなたのお母さんがいたかどうか、わたしにはわからない。ごめんね。こんな不確かな話、するべきじゃない」

 おれはもう一度写真をティファに見せた。

「ごめん。わからないの」

「そうか──」

 沈黙。ティファは、失礼と呟いて、おれの前から離れ、カウンターの向こうで何か作業を始めた。この話題は、おそらくこれで終わりなのだ。おれは写真をしまい、地図を見直す。ルートを覚えてしまうつもりだった。

「ねえ、ティファ?」

 空気を変えようと声をかける。話題は──なんでもいい。

「この、ゴールドソーサーってのは、あのゴールドソーサーだよね? ほら、遊園地の。一度行きたかったんだよな」

「今は閉鎖されてると思うけど」

 話題が変わったことにホッとしているように見えた。

「ティファは──」

「あるわよ。行ったこと」

「いわゆる、デート──かな」

「どうだったかなあ」

「ごめん」おれはティファの作り笑顔に気づく。「おれ、しつこいな」

「いいよ。全然気にしないで。もっとすごいこと聞いてくる人だっているから。ねえ、コスタ・デル・ソルって行ったことある? ニブルヘイムなんかより、ずっと楽しいところ」

 その言い方で、やはりティファは、おれをニブルヘイムへは行かせたくないのだと気づく。

「彼女と行ってみたら? もちろん、行くのは大変だけど」

「彼女がいればね」

「あれ? ちがうの?」

 きっと、キリエのことだろう。

「ああ、あれは仕事の仲間」

「ふーん」

 ティファはわざとらしい「疑惑の表情」で、おれを見つめた。

「やっぱり、地図、うつさせてもらっていいかな?」

「もちろん」

 バッグに手を入れて、札束の入った紙袋を手探りで切り裂き、取り出す。その紙切れにおおざっなルートを書き写す。作業をしながら、こんな旅をおれはかんすいできるのだろうかと思い始める。

「本当に大変そうだな──」

「簡単じゃないとは思うけど。たいていの場所にガイドや、必要な乗り物を持ってる人がいるわ。もちろんただじゃないけどね」

「お金で解決できるなら、なんとかなるかも」

「へえ。もしかして、お金持ち?」

「今はちょっとね。商売繁盛さ」

「何屋さんなの?」

「探偵」

「腕がいいんだ」

「ティファなら安くしておくよ」

「ありがとう。考えておく」

 おれはカップの底に少しだけ残っていた冷めた紅茶を飲み干し、ティファに礼を言った。支払いをしようとすると──

「代金はこの次に来た時にもらうわ」

「え?」

「生きて帰って来なさいってこと」


  22 タークスとキリエ


 レノは、れいの外観に合わせてわんきょくさせた金属板を支柱の鉄骨に固定しようと格闘していた。下品なののしりを呟きながら作業をしていたが、やがて鉄板を地面に投げ捨てる。派手な音がした。

「サイズが合ってねえぞ、と」

 誰にともなく毒づいて顔を上げると、ルードが、エヴァンの車の横にしゃがみ込んで後輪を覗き込んでいる姿が目に入った。

「どうした?」

「ホイールナットが緩んでいる。締めておくか」

 さっきまでエヴァンに腹を立てていたルードがいったいどういう風の吹き回しだ。自在レンチを持って相棒のところへ行くと──

「使うか?」

「ああ」

 ルードはレンチを受け取ってナットを締め始めた。

「親切じゃねえかよ」

「気づいてしまったからな。これが原因であいつが死んだら寝覚めが悪い」

「そりゃそうだ」

「あいつは──」ルードは立ち上がると反対側の後輪へ回り、作業を続けた。

「なんだよ、途中で止めるなよ」

「あいつは──危なっかしいな」

「あん?」

 訊き返しはしたが、意味はわかっていた。地に足が付いていない行動。自分を大きく見せたい。きょせい。小心者のくせに大胆な行動で周囲を驚かせる。そんなことを繰り返すうちに、実にくだらない理由で死ぬ。若いタークス、新米ソルジャーから兵士まで。ふたりはエヴァンのような若者を何人も知っていた。

「でもよ、若いってのはそうだろ? おれたちにもあったじゃねえか、そういう時代がよ」

「忘れた」

「あの女な──」

「キリエか?」

「ああ。キリエがエヴァンを殺すかもな」

「おっと。やっぱり? おれもそう思うぞ」

 キリエは悪人ではない。しかし、無自覚なトラブルメーカー。いかにも問題を引き寄せそうな女だった。エヴァンはキリエに自分の弱さを見せまいと無理をするだろう。引くに引けない状況におちいる。自意識過剰で身の程を知らない男には荷が重い。

「でもよう、社長の弟じゃほっとけねえだろ?」

 ルードは答えず、そのまま作業を続けた。

「おれはこれで気が済んだ。もう、あいつらとは関わりたくない」

「──そうもいかないみたいだぞ、と」

 広場を突っ切って向かってくるキリエの姿が見えた。

「まかせる」

「おい!」

 ルードがれいへ戻り、レノだけが取り残される。

「ねえ、レノルード」

「繋げるなよ、と」

「エヴァンをどこへ隠したの? 替え玉の話を断ったから監禁しちゃった? それとも、暴れたから落とし前をつけさせる気?」

「なんの話をしてるんだ?」

「考えたら、そういうことしか浮かばないのよ。エヴァンの様子がおかしかったのは、きっとしんと何かあったからだってね。どう?」

「様子がおかしい?」

 車を置きに来たエヴァンの様子を思い浮かべたが心当たりはなかった。

「エヴァンがいなくなった」

 キリエがきゅうだんするように言った。

「いなくなったかもしれねえけどよ、もうすぐ戻ると思うぜ。ほら、これはエヴァンの車だ。おれたちが預かってる」

 キリエは車を親の敵のようににらみつける。そしてドアに手をかけると乱暴に開き、乗り込んだ。

「おい!」

「ここで待つ。もし戻らなかったら車ごと慰霊碑に突っ込むから」


  23 レズリーとマール


 おれは、スラムの迷路を、群れからはぐれた渡り鳥のような気分で歩いていた。レズリーの家を目指しているつもりだった。二、三度訪ねたことはあるが、ひとりで行くのは初めてだ。通行人に道を訊こうにも、行きたい場所をうまく説明できる自信がない。エッジまで戻って、起点から出直した方がいいかもしれないと思った時、やっと見覚えのある場所に出た。十軒ほどの掘っ立て小屋が、好き勝手な方向を入り口にして自己主張している。そのうちの、一軒のドアをノックする。

「エヴァンだ──」名乗ってすぐ、住んでいるのはレズリーだけではないことを思い出した。「ミレイユ探偵社のエヴァン・タウンゼント」

 すぐにドアが開いた。

「こんにちは。はじめましてだよね? わたしはマール」

 背の低い、ショートカットの、ふわっとした女の子が笑顔でおれを迎える。

「うん、はじめまして。レズリーはいるかな? あ、おめでとう」

「ありがとう。レズリーは中だから、入って」

 おれはマールに続いて室内に入った。家の中は、うちより少し広いという程度だ。二人で住むにはぜまだろう。記憶とはちがう、花柄の壁紙が気恥ずかしく、部屋のあちこちに置かれたクッションやレースの飾りが、レズリーの家とは思えず、おかしかった。

「おお」

 ベッドに転がって本を読んでいたらしいレズリーが身体を起こす。ベッド脇の椅子を押し出したので、おれはありがたく腰を下ろした。

「やあ」

「一人か?」

「ああ。おかげで、結構、迷った」

「いい加減、慣れろよ。で、仕事か?」

「いや、ちょっと個人的な──」

「こんなところまで、ご苦労様」

 マールが花柄のカップに入れたを差し出す。カップ越しにマールのお腹が目に入る。この中に赤ん坊がいるのだ。絶賛細胞分裂中。マールが不思議な生き物に思えた。

「まだわからないでしょ?」

「うん」

 視線に気づかれるというしったいをごまかそうと、おれは白湯を飲む。丁度いい温度だった。

「いい感じ。これ、何度くらいかな」

 一人で勝手に気まずくなり、それをごまかそうと興味もないことを訊く。これがいけないのだ。

「水の量やヤカンのサイズ、材質にもよるけど、うちの場合だと、ふっとうしてから八分かな。どうせあなた、そんなことしないでしょ? キリエに教えてあげるといいわ」

 マールは訳知り顔でうなずいている。

「キリエは火を使わないんだ。一般的な意味より少しだけ強く、火を恐れている」

 レズリーが、おれの知らないキリエを語る。

「それじゃ、なんにもできないじゃない」

 マールが驚く。

「いわゆる、トラウマってやつだ」

「知らなかったな」

「だったら、知らないふりしてろ。自分から言い出さない限り、聞き出そうとするな」

 レズリーが、キリエの保護者のような顔をして言った。

「しないよ。立ち入った話なんて、したことない」

 あいまいな返事でごまかす。もう、聞く機会もないのだろう。キリエとの最後の会話を思い出す。何も始まっていないのに終わった。そんな気がした。いや、始まりかけていたのは確かだ。それを、おれは台無しにした。

「そうなのか? おれはてっきり──」

「なあ、レズリー」その手の話題は、今は避けたかった。「実は、ドン・コルネオのところへ行きたいんだ。場所を教えてくれないか?」

 マールの笑顔が消えた。

「外に出ようか」

 レズリーが低い、よくようのない声で言った。


  24 キリエ、食事に行く


「じゃあ、お願いね」

 キリエは言い放つと、思い切りよく車のドアを閉じた。

「なんなら家帰ってろ。エヴァンが戻ったらあんたのところへ行くように伝えておくぞ」

「それじゃあ、ダメなの。エヴァンは来ない」

 おやまあ、とキリエを見送りながらレノはあきれる。タークスともあろう者が、どうやら、若造同士のげんに巻き込まれている。笑いが込みあげてきた。

「何事だ」

 成り行きを見守っていたらしいルードが寄ってくる。素っ気ない態度とは裏腹にルードも気になっているのだと思うと、ますますおかしい。

「腹減ったから飯喰いに行くんだってよ」

「これだけ舐められると、痛快だ」

 それでこそ愛されるしんだと笑ったが、レノは、相手が今でもタークスを怖がっていることに気づいていた。き出しの肩から二の腕にかけての鳥肌。必要以上に強い言葉を投げつけて反応をはかる。エヴァンは安心しきっているかもしれないが、キリエはまだおびえている。エヴァンより想像力が豊かなのだろう。

「なあ、相棒」ルードが言った。「あれは、エアリスと似てるな」

「おれも思ってたぞ、と」

 彼らに協力することがせめてものしょくざいになれば、とレノは思った。


  25 ゲス野郎と会う


 レズリーの指示どおりにミッドガルの中央支柱を目指していた。上を見て、ミッドガルの裏側を走る鉄骨やワイヤーをガイドにしながら、おおざっに進め。道を覚えようとするな。それは、おれにとって、スラム歩きに関する革命的な情報だった。なぜもっと早くに教えないと抗議すると、常識だといっしゅうされた。やがて、おれが住んでいたミッドガル六番街直下。巨大なコンクリートの壁が見えてきた。このあたり一帯がウォールマーケットだろう。スラムの歓楽街であると同時に、金さえあればたいていの物が手に入る場所らしい。そんな場所ならば、スラムの住人なら誰もが知っているわけで、実際、レズリーに会う前に、何度か、尋ねようと思ったことはある。しかし、スラムで道を訊くのは──はっきり言って、怖い。親切な人と、親切を装って他人をあざむこうとする人の区別が、おれにはつかない。暗がりに連れて行かれて殺されるなんてことを想像すると、恐ろしくてたまらない。特に大金を持ち歩いている今は。そのあたりの意気地のなさをレズリーに指摘されないかと警戒していた。しかし、今日のレズリーには、そんなことを思う余裕はなかったようだ。

「あのなあ、エヴァン」

 途中まで送ってくれたレズリーが別れ際に言った言葉を思い出す。

「コルネオの名前を、マールの前で出すな。今後一切。いいな?」

 ドン・コルネオはウォールマーケットを仕切っている、いわゆる「ボス」らしい。

「わかった。でも、どうして?」

「友達だと思うなら、聞かないでくれ。今後一切。いいな?」

「──うん」

 おれがコルネオを訪ねる理由を聞こうともせず、レズリーは帰った。


 ウォールマーケット。マーケットというわりには、浮き立つようなけんそうかい。空気がよどんでいる。退たいはいてきというのだろうか。墓場のようなせいじゃくに支配された場所だった。何人かの男女がそこかしこにしゃがみ込んでいた。おれは目を合わせないように注意しながら、レズリーに教えられたとおり、一番奥まった場所にある家を目指した。周囲よりも立派だが、古いぞうのように色せた、もの悲しい家だった。


 戸口に立って、呼び鈴を鳴らす。

「こんにちは」

「誰だ?」

 扉の向こうから、野太い男の声がした。

「クラウドの紹介で来たんだけど──デリバリー・サービスの」

 なんの返事もないまま、人が戸口から立ち去る足音がした。取り次いでもらえるのだろうか。居心地の悪さを感じながら、改めて、あたりを見回す。どんよりとした幾つもの目がおれを見つめていた。いや。何も見ていないのかもしれない。やがてドアが開き、男が姿を現した。髪の毛をキッチリと七三に分けた、目つきの鋭い大男だ。頬に刃物傷。おれの視線が泳ぐ。げふ。

「入れ」

「はい」

 男に連行されるように、後に従った。匂いが気になった。甘ったるい匂いがこうの隅々まで流れ込む。廊下の内装は、外観と同じくボロボロだ。壁紙がところどころはがれ落ち、中のしっくいが見えている。こんなところで本当に燃料が手に入るのだろうか。そもそも、あの、デリバリー・サービスの男を信じていいという根拠は? そこまでさかのぼって疑うのか? どうする? 何か理由を付けて出直そうか。ああ。おれは思わず声をあげそうになった。レノに車を預けた時に、燃料のことを頼んでみれば良かったのだ。ここに来るのは、向こうに断られてからでも良かったではないか。おれは、確実に、着実に、間違った選択肢を選んでしまった。その罰として、今、ここにいるのではないか? 逃げたい。逃げよう。うん、そうしよう──と思った時、大男とおれは、廊下の突き当たりのドアの前に着いた。

「失礼のないように」

 大男がノックもせずにドアを開く。ちゅうちょしていると背中を押され、おれはよろめきながら部屋に入った。


 誰もいなかったので戸口に立って部屋の様子を観察した。異様な部屋だった。それほど広くない部屋の大部分を占めるのは、丸い、大きなベッドだ。壁には、おびただしい数の写真が貼られていた。ざっと見た感じでは、全員、女性だ。十代前半と思われる子供っぽい子から、老婆に近い年齢まで。

「ほひ」

 ベッドの奥の間仕切りの向こうから、奇妙な声がした。息が漏れたような、間の抜けた声だった。やがて金属がきしむ音がして、車椅子に乗った小柄な老人が現れた。派手な赤いスーツを着ている。その派手さが、本人の冴えないようぼうを強調していた。

「クラウドの紹介だって?」

 ドン・コルネオらしき老人は甲高い声で言った。禿げ上がった頭の下には、しわの多い顔があった。しかし、目だけはギラギラと輝いていた。外で見た、腐った目とは対照的だった。もしかしたら、老人というほどの歳ではないのかもしれない。

「はい」

「名前は?」

「──」

「おまえの名前だよ」

「エヴァン。エヴァン・タウンゼント」

 なぜ、こういう時に限って嘘がつけないのだろう。

「よーし、覚えたぞ。エヴァン。エヴァン・タウンゼントだな」

 背筋がぞっとした。

「あの──」

 さっさと用を済ませて帰りたい。なんなら、済まなくてもいい。しかし、相手は、おれには興味を無くしたとでもいうように、視線を壁に向けた。

「ふん、クラウドめ。あいつに出会ったことが、おれの転落の始まり──」

 壁の写真を見ているらしい。おれもその視線を追った。

「えっ?」

 隠し撮りらしいその写真には三人の女が写っていた。ひとりはセブンスヘブンのティファだ。それだけでも驚きなのに、中央に映っているのは明らかに、女装したクラウドだった。見てはいけないものを見てしまった気がして、おれは慌てて目をそらした。

「で、若いの。何が欲しい?」

「車で遠出をしたいんだ。燃料が欲しい。手に入るかな?」

「手に入るか? このジジイにそんなことができるのか? そういう意味か?」

「いや、そんなつもりは──」

「エヴァンだったな。人を見かけで判断するな。これは人生の基本だが、忘れがちだ。きもめいじておけ。おれはそれを忘れたおかげでひどい目にあった」

 そしてもう一度、壁の写真を見た。

「おまえさんはおれをしょぼしょぼのジジイだと思っているだろうが、おれはそれほど年寄りでもない。まあ、若くはないけどな。身体もこんなだし、昔のようなやり方はできないが、ほれ、おれには財産がある」

 コルネオはゴテゴテした指輪にいろどられた右手で部屋中の写真をぐるりと指し示した。

「これがあればたいていのものは手に入るし、大抵の奴は黙らせることができる」

 おれはコルネオの言葉の意味を即座に理解した。この男はゲス野郎だ。

「──クラウドちゃん以外はな。おれをただの便利屋扱いするのはあいつくらいだ。まあ、たいしたもんよ。で、燃料だったな。明日の夜明け、エッジの大通り。南の終点。そこに運ばせる。それでいいか?」

「じゃあ、代金はその時に」

「金はいらない。その代わり、タダだったってことをクラウドに伝えろ」

「いや、払いたい」

「借りを作りたくないってか? だったら好きにしろ」

「幾らだ?」

「有り金全部。タダと有り金全部。難しい選択だな、おい。ま、時間はあるから考えとけ。ところで、エヴァン」コルネオが目を細めておれを見る。「おまえ、しんの血縁か?」

 しんぱくすうね上がった。

「時々バカ社長に似てるって言われるけどね。残念ながら違う」

「そうか。だったら、おれたちは会ったことがあるのか?」

「いや──」

「ほひー、そうか、あっちか。ちょっと待ってろ」

 コルネオは車椅子をきしませながら、間仕切りの向こうへ消えていった。おれはティファが写っている写真の前へ行き、間仕切りを気にしながら素早くがした。これは、ここにあってはいけない。そして、壁を見回す。着飾った、あるいは半裸の女性の写真が数え切れないほど貼られている。マールの笑顔が消えた瞬間。コルネオの名を出した時の、レズリーの表情を思い出す。壁の端の方で、それを見つけた。今よりほっそりしているが、間違いなく彼女だ。おれはマールの写真を剥がしてポケットに突っ込んだ。

「あったあった」

 上機嫌のコルネオが戻ってきた時には、おれは、何食わぬ顔で壁の写真を眺めていた。

「たしかここにな──」

 コルネオは膝に乗せた分厚いアルバムをめくっていた。そしてその中から小さな写真を一枚がし、おれに見せた。

「おまえだろ、これ」

 写真には不機嫌そうなおれが映っていた。バカみたいな三角帽子を被っている。十五歳の誕生日に母が面白がって撮った写真だった。母のお気に入りで、財布に入れて持ち歩いていたはずだ。それがどうしてコルネオの手に? まさか! 頭がカッとなる。おれは壁の写真を見た。母さんが!?

「なんだ? ああ、ちがうちがう。その写真はどこかの掲示板に貼ってあったものだ。おれは手下に命じて、あちこちからそういうのを頂いているのよ。人捜し情報は、一年くらい前までは金になったからな。ほれ、写真の裏には連絡先が書いてあるぞ。誰かがおまえを探してるってわけだな」

「誰が──探してるって?」

「五千。いや、クラウドの知り合いってことで千ギルで手を打つ」

「アネット・タウンゼント?」

「ぶう。残念。もうヒントは無しだ。答えを知りたければ千ギル。格安だぞ」

「あんたが──」

「ほひ?」

「あんたが写真を剥がしたせいで再会できなかった人たちがいる。そういうことなんだろ?」

「そのとおりよ。が、知ったことか」

「ゲス野郎」

「おお、エヴァン。おれの本質を見抜いたようだな。えらいぞ、ガキ」

 おれはたすき掛けにして腰に回していたショルダーバッグを前に回し、中から金を出そうとした。ルーファウスしんのピストルが指先に触れた。金と銃、どっちを出す?

「エヴァン、こっち見ろ」

 顔を上げると、コルネオはいつの間に取り出したのか、回転式のだんそうを持った銃をおれに向けていた。

「そっから出てくるのが金以外だったら、撃つ」

 このゲス野郎は本気で撃つのだろう。こんな場所でコルネオに撃たれて死ぬのだけはイヤだ。おれはバッグの中の紙袋に手を突っ込んで札束を取り出し、ベッドの上に放り投げる。そして、写真を奪い取った。

「お買い上げ、ありがとうございます」

 コルネオがニヤニヤしながら言った。

「燃料は届ける。おれは信用を大切にする男だからな」

 それは銃を突きつけながら言うことかと思ったが、一刻も早く立ち去りたかった。

「兄ちゃんよ。なんなら壁の写真、好きなだけ持って帰っていいぞ。全部コピーがある」

 おれは自分のりょの浅さを心の中でののしりながら部屋を出た。さらに歩き、外に出て、空気を胸一杯吸い込んだ。家の中よりマシだったが、外のにごった空気も気が滅入る。立ち止まらず、振り返りもせず、ウォールマーケットを後にした。歩きながらポケットの写真を出して、まずクラウドが写っている写真を見た。いったいクラウドとティファは何をしているのだろう。もう一人は誰だ? 写真を裏返すと「クラウド、ティファ、エアリス」と記されていた。エアリス? この子がエアリス? だいしゅのエアリス。キリエに両親の死を伝え、しんゆうかいされ、そして、死んだ。そのエアリスとクラウド、ティファは繋がりがある。

《いろいろあってね》

 ティファの中途半端な笑顔を思い出す。おれはティファたちの写真を細かく引き裂き、道ばたにばらまいた。

《友達だと思うなら聞かないでくれ》

 レズリーの言葉がよみがえる。マールの写真を同じように千切り、捨てた。最後におれの写真だ。裏を見ると、ニックス・フォーリーの名前とおれの家の電話番号が記されていた。彼がこの写真を掲示板に貼ったのは、おれがすでにスラムに降りていることを想定したからだろう。そしてミッドガルに登り、アールド氏の家で力尽きた。おれが掲示板の写真を見ていれば再会できたかもしれない。ニックスがせいこんで命を落としかけていたとしても、最後に一目会うくらいはできたかもしれない。母の消息だって知ることができただろう。その機会はあのゲス野郎によって奪われたのだ。


  26 中途半端な後始末


 レズリーの家の前に立っていた。何をどう伝えればいいのだろう? おれはいつものように、自分の身を守りながら、相手に事情を説明する準備をしていることに気付く。それはダメだ。これは、そういう問題ではないのだ。

「エヴァンだけど。何度も、ごめん」

 おれはドアをノックしながら言った。

「今行く」

 レズリーが応え、やがて外に出てきた。

「マールの具合が悪くてな。つわりって、わかるか?」

「まあ、なんとなく」

「それで? ウォールマーケットに辿り着けなかったのか?」

「いや、行った。コルネオにも会った」

「そうか」

「その時にマールの写真を見つけて──」

 レズリーがおれをにらむ。

「おれはそれを盗んで、千切って、捨てた」

「おまえ──」

 レズリーの顔がほころんだ。いや、違うんだ、とおれはあせる。

「コルネオに気づかれたんだ。しかも、写真のコピーがあるらしい。だから、もし無くなっているのがマールの写真だってあいつが気づいたら──つまり、おれのしたことで二人に迷惑がかかるんじゃないかと思って──?」

 レズリーが拳でおれの胸を殴った。軽く、二度。そして、おれの手を握る。

「おれはな、おまえのそういう間の抜けた正義感が好きだ。それ以外、おまえには美点なんてないと思うくらい好きだ。あれは二年前か? キリエからおまえを紹介された時、おれは思った。こいつは一人前のふりをしている、ピーピーうるさいミッドガル育ちのお坊ちゃんだってな」

「ひどい言われようだな」

「でも、付き合ううちにわかったよ。おまえの良心は、おれたちにはないものだった。おまえのおかげでキリエは変わった。知ってるか? キリエが真っ当に生きる決心をしたのは、おまえの影響だ。おれも同じ。それなりに汚い仕事をしてきた。コルネオのところのしただったからな。でもな、変わったキリエを見て、おれもこのままじゃいけないと思った。ファビオも、おれの知る限り、泥棒からはずっと足を洗っていたはずだ。まあ、この間のしんの件は置いといてな」

「知らなかったな」

「おまえはいつだって何も知らないし、気づかない。自分のことでいっぱいいっぱいなんだろ? そして後から気づく。今回もまた余計なことをしてくれたぜ」

「本当に済まない。どこかに逃げるなら、おれの家を使ってくれ。鍵は──」

 おれは慌ててバッグから鍵を出そうとしたがレズリーに止められた。

「いいって。これはおれの問題だ。いつか決着をつけなくちゃと思ってたんだ。ダラダラここまで来てしまったけど踏ん切りが付いた。礼を言うよ、エヴァン」

 レズリーは背を向け、家に戻ろうとした。しかし、振り返り──

「なあ、家を使えってどういうことだ?」

「ちょっと遠出するんだ。車が手に入ったからさ。コルネオのところへは燃料の調達に行った」

「へえ」

 レズリーは面白そうに、おれを見た。

「しばらく、留守にする」

「無茶はするなよ、エヴァン」

 そう言うと、レズリーは家の中に入ってしまった。もっと伝えなくてはいけないことがあるような気がしたが、それはおそらく、おれが話したいだけで、相手にとってはどうでもいいことなのだろう。おれはエッジを目指して歩き始めた。あと一カ所、行かなくてはならない。


  27 プロジェクト始動


 電話で上司と話しているルードを気にしながら、レノはれい建造の工程表をチェックしていた。

「レノ?」

「あん?」

 顔を上げると、居心地が悪そうに周囲を見回している中年の男がいた。

「ドイルだ」

 男は太い両眉の間にしわを寄せて名乗った。

「ああ。村長か」

「まあな。それで、約束どおり、明日から作業に参加したい。おれ、キーオ、スロップ。ファビオはまだ無理だ。少しようじょうさせてやってくれ」

「歓迎だぞ、と。で、あんたは何ができる? 得意な──って、おい、聞いてるのかよ!」

「あれは──」

 ドイルはれいの横に停めてある車を見ていた。

「エヴァンが置いてった。少しの間、預かれってよ」

「本人が来たのか?」

「おう」

「何してるんだ、あいつ──」

「何してんだか知らねえけど、本人はうまくやってるつもりなんだろうよ」

「ああ、言ってることはわかるよ。あんた、あいつのこと、わかっているみたいだな」

「似たようなの、大勢見てきたぞ、と」

 レノは鼻で笑って応えた。ドイルは、明日からの「出勤」を約束すると、今はエヴァンのものとなった車の方へ歩き出す。レノは再び工程表に視線を落とした。

「相棒」

「ん?」

 電話をスーツに戻しながらルードが歩いてくる。

「おれはこれからミッドガルへ上がる。ヘリが不調らしい」

「ミッドガル? ヘリ?」

 レノは思わず、ミッドガルを見上げる。

「主任とイリーナが来ている」

「ヘリ使って何する気だ?」

「知らん」

「くう、まーだ仲間はずれかよ」

「とにかく、おれは行く」

「待てよ、おれも行く」


  28 キリエの逆襲


 レズリーと別れ、セブンスヘブンに着いた時には、もう夕暮れ時だった。一日に二回訪問するのは初めてだ。

「いらっしゃいませ──」

 ティファは客がおれだと知ると、不思議そうな顔をして、やがて噴き出した。

「ちょっと話があって──」

 言いながら、おれはカウンター席のはしすべり込む。

「ニブルヘイム行きは諦めた?」

「いや、その話じゃないんだ」

「深刻そうね」

「うん」

「実は──」おれはレズリーにした話を、さらにあっしゅくして報告することにした。「ドン・コルネオがきょうはくのネタに使っているらしい写真があって、その中にティファが写っているのがあったんだ。それを盗んで破り捨てたんだけど、コルネオに、まだコピーがあるって言われて──」

「ちょっと待って。コルネオって生きてたの?」

「生きてた──ってどういう意味かな」

「あ、ごめんね。説明はちょっと複雑。わたしも知らないことが多いし。それで、コルネオがわたしの写真を持っていたの?」

「うん、ティファと、エアリスって人と──クラウド。なんて言ったらいいのかな。クラウドは女装してた」

「ああ、あの時か。隠し撮りだよね」

「うん、そんな感じだった」

「あれ? クラウドと知り合いなの?」

「知り合いっていうか、ほんの少し。会話を全部足しても三分くらい」

「あの人と五分話せる人は滅多にいない」

 ティファはうれしそうに言った。しかしすぐに新たな疑問に思い至ったらしく──

「エアリスのことも知ってるの?」

「いや、写真の裏に三人の名前が書いてあったから」

「ああ、そういうことか」

「友達?」

「そうね。いや、もっと特別な人──かな」

「そうなんだ」

 エアリスに関しては多少どころではない好奇心を刺激されたが、亡くなった人のことをあれこれ訊くのは気が引けたし、まだ、おれはかんじんなことを話していない。

「とにかく、おれがコルネオのところでしたことで、ティファたちに迷惑がかかるんじゃないかと思って、それを伝えたくて。おれ、余計なことをしたのかもしれない」

「エヴァンって──」ティファは真正面からおれを見つめながら言った。いたたまれなくなって視線を下げると、そこにはティファの胸があった。慌てて顔を上げる。

「エヴァンって、いい人だね」

「そんなことはない」

「どうして悪ぶるの?」

「ぶってない」

 おれの返事を聞いて、ティファがまた笑う。

「じゃあ、帰るよ」

「コルネオのことは心配しないで。クラウドがいるしね」

 ティファは、自信ありげな声で言った。ティファとその周辺の人たちの関係は、おれの想像を超えて、果てしなく複雑に入り組んでいるに違いない。

「ねえ、あの後、キリエと話した?」

 おれはポカンと口をあけてティファを見た。

「彼女、少し前までそこに座ってたの。たくさん食べてた」

「もしかして、ニブルヘイム行きのこと、キリエに話した?」

 今度はティファが驚いておれを見た。

「ごめん、ないしょだったの?」

 おれは小さくうなずく。

「ごめんね──」

「いや──」その時、おれの腹が盛大に鳴った。そういえば、この何日か、まともな食事をしていない。

「何か作るね。おごるから、たくさん食べて行って」

 ティファが済まなそうな顔のままフライパンをコンロの上にせた。


 ふくらんだ腹をさすりながら中央広場の様子をうかがうと、キリエの横顔が見えた。車の運転席に座って、前をえている。彼女の視線の先にはこれと言って特別な物はなかった。遠い目をして、考えている。ティファから得た情報を整理して、おれにどんなことを言おうかと思案しているのだろう。さて、どうしよう。答えどころかせんたくすら浮かばないうちに、車の側まで来てしまった。まあ、いい。たとえ噛みつくためだとしても、キリエがおれを待っている。ステップを踏みたくなるほど、うれしい。彼女とのことで、ひとりで行ったり来たり、考えたことなど、どうでもよくなる。

「やあ」

 声をかけると、キリエはおれをひとにらみして車から降りてきた。袖無しのライダースジャケットと、シンプルなジーンズ地のショートパンツ、足にはゴツいブーツをいている。手には例の軍用バックパック。まるで旅に出るような──もしかして、そういうことか?

 キリエは両手を腰に当てて、挑むようにおれを見上げる。

「乗って」

 おれに命じると自分はさっさと助手席に回り込む。

「うん」

 おれは返事をしながら運転席に乗り込む。

「タークスがいないな」

「急用だって」

「そうか」

「そうそう」

 キリエはいきなり身体をひねって後部座席に頭を突っ込んだ。見ると、シートの上に薄茶の布で作られた、大きなかばんがあった。何が入っているのか、はち切れんばかりにふくらんでいた。バックパックをその上に置くと、ぬのかばんのポケットに手を突っ込む。

「これ、タークスが貸してくれた」

 言いながらキリエは、バイク乗り用と思われるゴーグルを差し出す。

「ありがたい。これは気が利いてるな」

「でも、長くしてると目の周りに跡が付くよ」

 そして自分用のをさっと装着して見せる。

「キリエのもあるんだ」

「そりゃそうでしょ」

「ええと──」

「さあ、出して」

 車内は完全にキリエの支配下にあった。ずっと手探りでお互いの距離を測るような関係だったが、今はまったく違う。心地よかった。戸惑うこともなかった。おれは車をスタートさせると、ノロノロと大通りに入り、南のはしを目指して走らせた。ゴーグルが吹き付ける風を防いでくれたが、時折飛び込んでくる小石やゴミが顔に当たる。それをけようとすれば、やはり、それほどスピードを出せるわけではない。やがてキリエがまた後部座席に頭を突っ込んでバッグの中を探り始めた。すぐに向き直ると、雪山が似合うニット帽をぶかに被り、大きな花柄の布で鼻と口をおおった。

「もっとスピード出して!」

 キリエのくぐもった声に従い、おれはアクセルを踏み込んだ。

「──」

 キリエがまた何か言ったが口元の布と風の音に掻き消されて聞きとれなかった。

「え?」

 耳に手を当てて聞こえないことを訴えると、キリエは顔の下半分を覆った布を下げた。

「気持ちいいね!」

 相変わらず、窓から飛び込んで来る小石や砂利が頬に当たって痛い。しかし、キリエの機嫌が良くなるなら文句を言ってはいられない。おれは思い切りアクセルを踏んだ。エンジンが唸りを上げてさらに加速する──と思っていたが、あては外れた。プスッという不満げな音がれはじめ、やがてエンジンはあっけなく止まった。燃料計を見る。いわゆるガス欠というやつだ。車はせいで走り続けたが、やがて停まった。キリエは腕を組んで、うつむいていた。

「燃料は?」

「明日の明け方に大通りの南の端に届くはずだ」

 コルネオのところでしでかしたことを考えると、予定通りに事が進むとは思えなかった。しかし、それは明日にならなければ、わからない。今はそれよりもキリエだ。

「時間も距離もまだ結構あるけど、どうする気?」

「どうしよう」

「車、押すしかないんじゃない? そして、車の中で眠って待つ」

「うん。じゃあ、おれが押す。キリエはこっちに坐って、ハンドルを操作してくれ」

「わかった」

 おれは車から降り、キリエが運転席に座るのを確認してから後ろに回り、両手で車体を押した。まったく動き出す気配がなかった。身体を反転させて背中を車体につけ、足に力を込めた。やはりダメかと思いながらもさらに力を込める。すると車はとうとつに動き出し、おれは倒れそうになった。なんとかこらえて向き直り、再び両手で押した。一度動き始めた車は、その後、思いの外、簡単に進んだ。

「ティファから聞いたよ。お母さんは亡くなっていない。行方不明のまま。ニブルヘイムにいるかもしれない」

 車内のキリエは、相当大声を出しているに違いない。

「そう」

 いきなり車がこうを始める。

「キリエ、ハンドル!」

 押しながら中をのぞくと、キリエがハンドルを左右にぐりぐりと回していた。

「これ、わたしの、気持ち」

「そうされると、重いんだ」

「当然。わかるかな? まず、ヒーリンからの帰り道。あなたが言ったことで、わたしは傷ついた。でも、エヴァンにあんなことを言わせたわたしも悪かった」

 キリエが悪いわけではない。おれが自滅しただけだ。

「でも、診療所でのことは、ないと思う。ないない! あんな風に、試されるのは嫌い」

 うん。あれは、ない。

「そのあとはもっとひどい。あなたは姿を消した。なんだか知らないけど、あちこちに嘘ついて。それなのにティファには全部話した。ねえ、エヴァン。わたしは、あなたに好かれたいと思って、努力に努力を重ねた。悪いことは止めた。誘ってくる昔の仲間とは縁を切った」

「努力に努力を重ねた?」

「疲れた」

 蛇行が終わった。努力ではなく無意味なハンドル操作に疲れたらしい。

「なんだっけ? そう。わたしはスラムのこすからい犯罪者一家で育ったんだから。善悪の境界がぼんやりしてて、薄っぺらいの。そういうの、あなた嫌いでしょ?」

「そんなことは──ないと思う」

「わたしたちにめられないように無理してるのがわかった。スラムのこと、何か勘違いしていて、悪くて、こわもてな人になろうとしているのもわかった。でも、本当のエヴァンは違う。わたしにはわかった。あなたは、いい人なの。悪いことなんか、したくない」

 いい人と言われて喜ぶ男なんているだろうか? それにしても今日はやたらと「本当のおれ」について聞かされる日だ。もう、カンベンして欲しい。

「まあ、とにかく、おれたちはお互いを意識して、自分を装っていたってわけだ」

「何その引き分けみたいな言い方」

「そんなつもりじゃない」

「ちがう。そんなつもりだった。あなたはいつもそう。期待した通りの反応がないと、そんなつもりじゃなかったって言う。言わないときだって、心の中じゃそう思ってる」

「そんな風に言われたら、もう何も言えない」

 さすがに腹を立てていた。

「どうすればいいんだ」

「こっちが聞きたい」

 キリエが黙り、おれは黙々と車を押した。


  29 レノとルード、あせ


 しんカンパニーが所有しているヘリの数を把握している者は誰もいなかった。「メテオ以降」の最初の半年で大部分がりゃくだつされていた。結局、きょくせつを経て、ルーファウス神羅とタークスが確保できたのは三機だけだった。多くはないが、メンテナンスにかかる手間を考えると、妥当な数ではあった。ヘリは、ヒーリンの近くに一機、ミッドガルに二機、隠してあった。八番街の、屋根が落ちた倉庫が一、二号機のかくのうとして使われていた。

「スターターの不調だ。とりあえず二号機のと交換しておいた」

 ルードが手に付いたオイルをボロ布でぬぐいながら言った。

「二号機はいつ飛べるようになる?」

 ツォンが聞いた。

「さあ。一号機から外したパーツを分解して、それを確認しないと──」

「急いだ方がいいな」

 ツォンがくちゆがませる。

「主任。いま、ニヤっとしたのはなんだ?」

「おまえたちがいつ飛べるか。それはルードにかかっている」

「飛んで、どこへ行くんだ? ここんとこ、隠し事してるだろ、主任」

「ジェノバを探しに行く」

 ツォンの言葉に、レノとルードは顔を見合わせる。

「そりゃすげえ!」

「まず、わたしとイリーナで、あちこちに散らばる仲間に会いに行く。情報収集を依頼してあるからな」

 イリーナが後ろめたそうに視線をそらす。

「お、おれたちにもやらせてくれよ。やっぱり、タークスはそういう仕事がいい。そう調ちょうタークス!」

れいはどうだ?」

「あと三日で終わる!」

「いや、五日はかかる」

 ルードが冷静に訂正した。

「なんとか四日でやる!」

 レノが食い下がる。

「終わり次第合流してくれ」

「おお! 行くぞ、相棒!」

「主任」レノが走り出すのを横目で見ながらルードが訊いた。「社長はジェノバを──どうするつもりだ」

「あれの所有権は神羅にある。当然、処分する権利もな」

「そうだな」

 ルードはスターターをもてあそびながらうなずいた。

「まずいぞ、っと。今の話、誰かに聞かれた。逃げてく足音が聞こえた」

 倉庫を出ていったはずのレノが、背後を気にしながら戻り、報告する。

「どうします、ツォンさん」

 イリーナが興奮を隠さずに言った。

「イリーナ、探せ。一時間探して見つからなかったら戻ってこい」

「見つけたらどうします? やりますか?」

「連れて来い。話を聞いて判断する」

「はーい」

 イリーナは不満げな返事を残し、駆けていった。

「イリーナが戻り次第、わたしたちは飛ぶ。ルード、ここで二号機を見張ってくれ」

「ああ、わかった。修理が終わったら場所を移そう」

「それがいいだろう。レノは慰霊碑だ」

「ああもう! わかってるよ!」


  30 げんきょうがくの夜明け


 真夜中まで、あと少し。キリエは後部座席で自分のかばんに抱きついて横になっていた。眠っているわけではないらしい。

「燃料、本当に手に入るの?」

 とうとつにキリエが言った。

「手配はしたけど確信はない」

「ダメだったらどうする?」

「なんとかするけど、すぐには無理かもしれないな」

「たとえ時間がかかっても、ニブルヘイムへは行かなくちゃ。アールドさんの依頼もあるし。忘れてたよね、エヴァン」

「そういうわけじゃない」慌てて訂正する。「いや、そうかも」

 しかしキリエの反応はない。

「わたしには何も言わなかったのに、ティファには話した」

 話題が変わったようだ。しかも、微妙な問題なので、おれは身構える。

「エヴァン。その理由を言いたまえ」

 おれは答えを探す。最善の解答。そして思う。これがいけないのだ。何度も繰り返した失敗だ。けんきょに、たったひとつの、事実を告げろ。

「母親にこだわっていることをキリエに知られると、恥ずかしい。レズリーたちにも。でも、誰かに話したかった。あの時は特に。一人で抱えていられなかった」

「ふーん」

 気のない反応だ。そして理解する。なぜ、ティファだったのかを語れ。

「ティファは、顔見知りだけど他人だ。だから大丈夫だと思った。でも、今はわかる。一番聞いて欲しいのは仲間たちで、特にキリエだって」

「でも、わたし、聞いたら怒ったかもしれない。わたしがいればいいじゃないって」

「そんなタイプじゃないと思うけど」

「それがびっくり。ショック。ティファからわたしの知らないエヴァンのことを聞いた時、カッとしちゃった。もう、腹が立って、いっぱい食べちゃった」

 この手の話になると、おれたちは意外と似たもの同士なのかもしれない。

「ティファの前にいると、わたし、自分がまるで子供みたいに思えるんだ。かなわないって」

「おれは、ルーファウスしんに、そう思った」

「じゃあ、引き分け?」

「どうかな? おれはレズリーにも負けてると思ったし、ああ、ファビオもだな。スラム育ちには、どうしても負い目を感じてしまう」

 こんな話をするのは初めてだ。キリエが後部座席で素早く起き上がり、ルームミラー越しにおれを見る。

「ルーファウス、レズリー、ファビオ。三人。わたしは二人。じゃあ、わたしの勝ちだ」

 二人? ひとりはティファ、もう一人は──

「あなたのお母さんには、絶対かなわない」

「それはちょっと違うような──」

「わかってる。ううん、わかってない。違うってことを、わかりたい。男の子のママは、ガールフレンドの最大の敵。お婆ちゃんが言ってた。でも、最高の味方にもなれるって」

「なあ、キリエ」

「なに?」

「率直に聞くけど、大前提として、キリエはおれのことが好きなのかな?」

 ルームミラーからキリエの顔が消え、車が一瞬揺れた。次の瞬間、後頭部にずっしりした──おそらく、キリエのバックパックだ──ものが当たり、おれはハンドルに勢いよく胸をぶつける。クラクションが短く鳴った。


 ぬのかばんを床に置き、キリエは後部座席を占領して横になっていた。背中を向けている。

「ティファが、ニブルヘイム行きは止めた方がいいって」

「ああ。そんな雰囲気だったな。おれは直接言われてないけど」

「だからわたしは止めないことにしたんだ。一緒に行けばいいと思って、大急ぎで荷造りしたんだから」

 そしてまた車内に沈黙が訪れた。しかし、心地の良い沈黙だった。やがて寝息が聞こえてきた。ルームミラーを調節して、後部座席が見えるようにした。無防備なキリエの背中があった。おれはショルダーバッグから銃を取り出し、寝ずの番をするために姿勢を正した。


*  *


 ずっと起きていたつもりだったが、何度か眠りに落ちたらしい。夜明けがやけに近かった。

「エヴァン、起きた?」キリエが横になったまま訊いた。「聞こえる?」

 耳を澄ますと、エンジン音が聞こえた。徐々に近づいてくる。キリエも後部座席で起き上がる。おれは車から降りて大通りを見た。小型のトラックが走ってくる。やがて運転席の男の顔が見えてきた。

「レズリー!?

 キリエも気づいたらしく、車から降りる。レズリーは軽く手を振りながら横を通り過ぎ、トラックを停めた。そして、勢いよくバックして、おれたちの車にぶつかる直前で停める。見事な腕前だった。

「急いだ方がいい」

 ぜんとしているおれたちに声をかけながらレズリーが降りてきた。

「ほら、きゅうこうを開けろ」

「どこだろう」

「どけ」

 レズリーは楽しげに運転席に頭を突っ込むとキーを抜き、車体後部へ回り込む。

「エヴァン、来いよ。教えてやる」

「わかった」

 慌ててレズリーに駆け寄る。車体の右側後部に鍵穴があり、そこにキーを差し込んで回すとパネルが開いた。

「これがきゅうこう。燃料は四缶ある。たぶん三缶で一杯になるはずだ。あと一缶はトランクにでも入れとけ。何かクッションになるものを敷いてな」

 せかせかと指示すると、レズリーはトラックに戻り、燃料の缶を持ってきた。

「残り、持って来いよ」

 ああ──おれはぼんやりと返事をしながらトラックの荷台から燃料缶を運んだ。液体で満たされた重い缶を抱えて右往左往している間に、レズリーはキリエに燃料の入れ方を教えている。簡単な手押し式のポンプを用意してくれたようだ。ひと息ついたおれはレズリーを観察した。顔が、ところどころ黒く汚れている。すすのようだ。服も汚れていた。

「キリエも一緒だったとはな」

 レズリーが冷やかすように言った。

「まあね」

 キリエはポンプに集中したまま応じる。

「エヴァン?」

 おれを呼び、レズリーはトラックに戻った。従いながらキリエを振り返ると、ポンプを操作する手を止めて、右手で自分の頬をあおいでいた。

「いろいろ渡すモノがある。まず、これだ」

 トラックの助手席のドアを開け、札束を取り出す。

「なんだか知らないけど、釣りだってさ。それから──」

 今度は車内に頭を突っ込んで、重そうに、ちょうのマシンガンを取り出した。

「単発じゃ撃てないタイプだ。調子に乗るとあっというまに撃ち尽くすから気をつけろ。あと二丁あるけど、それはおれにくれ」

 おれはびくつきながらマシンガンを受け取る。レズリーは荷台に移動して、大ぶりの木箱を降ろす。やはり、重そうだった。おれの両手がマシンガンでふさがっているのを見ると、車の後ろへ行き、給油口から抜き取ったキーでトランクを開けて、その中に木箱を入れた。

「これは弾を詰め込んだマガジン。使い方は簡単だからすぐわかる。どこかで練習した方がいいと思うけどな」

 そしてキリエのところへ行き、キーを返しながら燃料の様子をチェックする。おれはマシンガンを、おそるおそる助手席に入れ、ふたりに近づく。

「うん、順調だな。じゃあ、おれは行く」

 レズリーはさっさとトラックへ戻ろうとする。

「待ってくれよ」おれはやっと切り出す。「どういうことだ?」

「──落とし前をつけてきた」

 レズリーは鼻の脇をきながら小さく笑う。

「昨日おまえが帰ってからマールと相談したんだ。子供が生まれる前に決着を付けようってな。そしておれはコルネオに会いに行った」

「決着って──」

「殺しちゃいない。もう殺しは、やめた」

 レズリーはさらりと言った。

「また昔のように下働きをさせて欲しいって頼んだ。足を洗って頑張ろうと思ったけど、こんなご時世じゃ生きていけないって哀れっぽく頼んだらあいつは大喜びだ。あのれつろう、人がみじめにしているのを見るのが大好きなんだ、そして最初の仕事がこれ。燃料の配達」

「本気で戻るんじゃないよね?」

「もちろん。出発する前に火をつけてきた。マールの写真も何もかも、燃えろ燃えろだ」

 キリエが身体を固くするのがわかった。

「あのマシンガンは? まさか、コルネオがくれたわけじゃないんだろ?」

「火が回り始めてから思いついた。旅に出るなら、銃があれば心強いだろうってな。そして、おれも、たぶん、持っていた方がいい。だから戻って、いただいてきた」

「すごいな、レズリー」

 それしか言葉が出てこなかった。

「でな、エヴァン。やっぱりおまえの部屋を貸してくれ。状況が変わった。いや、実はもう借りてる。ドアをぶっ壊して中に入った。マールが待ってるんだ」

「もちろん。もちろん、そうしてくれ」

 おれはポケットから鍵を取り出してレズリーに渡した。

「感謝する」

「それはおれの台詞──」ふと思いついて車の中から札束を出し、レズリーに差し出す。「これ、使ってくれ。もともと燃料代で使い切るつもりだったんだ」

「ありがたい、助かるよ」レズリーは金を受け取るとズボンの尻ポケットに押し込む。「金は返すし家賃も払う。でも、それ以外は貸し借り無し。もし今後、おれたちに何かあったとしても、おまえは何も負担に思うことはない。それでいいか?」

「何かあっても?」

「どんなに用心しても、祈っても、人生、いろいろ起こる。予想不可能。じゃあ、おれは行く。お二人さん、良いご旅行を」

 レズリーがこつに下品な顔をして言った。

「蹴るぞ!」

「おー、こわ」

 ふざけながらトラックへ戻るレズリーの背に、待ってくれ、と声をかける。レズリーとマールの問題が解決したとは思えなかった。

「コルネオのところに大男がいただろ? 危なそうな奴だったけど、大丈夫か?」

「いざって時はマシンガン。今日から抱いて寝るよ」

 レズリーはそれだけ言うと、振り返らずにトラックに乗り込みエンジンをかけた。短くクラクションを鳴らし、エッジに向って去っていった。

「あっち側に──戻っちゃうのかな。せっかく辞めたのに」

「そんなことにはならないよ。マールがいる」

「──そうだよね。赤ちゃんも生まれるし、戻らないよね」

 おれはうなずいた。そうあって欲しかった。ゴフっとポンプが不満を漏らし、缶が空になったことを告げる。ポンプを片付け、空き缶を道路の脇に積み重ねた。誰かが役に立ててくれるはずだ。トランクを開くと、レズリーが入れてくれた木箱の他に、かなり古い、り切れた毛布が入っていた。その毛布をクッション代わりにして未開封の燃料缶を置き、ふと思いついて木箱を開け、マガジンを二個取り出してからトランクを閉じた。

「出発しようか」

「うん」

 キリエは助手席側に行き、ドアを開いた。しかし、乗り込まずにおれを見る。

「ねえ、エヴァン。この袋、何?」

 車内から大きめの紙袋を取り出して、おれに向かって差し出す。

「なんだろう。見てくれよ」

 こくりとうなずきながら、キリエは袋をのぞき見た。そして中からへんと花柄の包みを取り出す。

「ありがとう、って書いてあるよ」

 紙片の内容らしい。車のルーフの上で包みを開くとキリエの頭ほどの大きなパンが入っていた。

「マールからだな」

「そうだね。おいしそう」

「後で食べよう。どこか、景色のいいところで」

「でへへへ」

「なんだよ、それ」

「景色のいいところで? パンを食べる?」

「今食べたいのか?」

「うひひひ」

 書かれている台詞を棒読みするような笑いだった。そして身をよじる。

「車もあるし、プレートの坊ちゃん嬢ちゃんみたい」

 キリエはプレートの生活を、少々誤解しているらしい。ああ、かわいいと思った。向こうへ行って抱きしめたいという衝動を抑え、おれは運転席に乗り込んだ。