ミッドガルにはふたつの風景があった。支柱によって地上から高く持ち上げられ、プレートと呼ばれる鋼鉄の大地に整備された上層都市。プレートのせいで日の当たらない地面に無秩序に、しかし力強く息づいているスラム。
四年前、ライフストリームが地中から
エッジの大通りは、ミッドガルの参番街と四番街の境界を起点にして、東にまっすぐ伸びている。遠目には立派な街だったが、建物のほとんどはミッドガルから運び出した廃材で作られていた。街は鉄とサビの
今時
七番街落下事件で店が無くなった後、しばらくしてから、ティファは新しいセブンス・ヘブンをエッジに再開させた。当時、進むべき道を決めかねている人々の群にいたジョニーはティファの力強い生き方に感動した。かつての片思いの相手が、いつしか尊敬すべき心の師になっていた。おれもティファのように生きてやろう。さて、どうやって? そうだ、おれも店を持とう。迷っている
その結果、ティファをひと目見たいと考えた客たちが新セブンス・ヘブンを訪ね、そのまま常連になった。そうとは知らずにジョニーは週に六日、愛と希望の物語の聞き手が現れるのを待っている。
客が来た。まだ子供だった。お子様がひとりとは珍しいな。おっと、デンゼルじゃねえか。ジョニーにとってデンゼルは特別な少年だった。心の師ティファの家族。思いっきりサービスしてやるぜ。
「いらっしゃいませ、デンゼル様」
深々と頭を下げるジョニー。しかしデンゼルは視線を一瞬向けただけで屋台から最も遠いテーブルについた。
「もっとこっち来いよ」
「やだよ。人と会うんだから」
人と会う? 子供のくせにデートかよ。まあいい。お兄さんが見守ってやる。全部サービス。おまえは特別だ。
「デートなんだろ? がんばれよな」
「コーヒー」
無視? そうか、照れてるのか。
「会話に詰まったらおれを呼べ。おもしろトークのネタを教えてやる。なんなら今──」
デンゼルが突然立ち上がった。怒ったのか? ジョニーはデンゼルを見つめたが、少年の視線は店の入り口に向けられていた。
地味なスーツを着た、面長の男が立っていた。
「いらっしゃいませ」ジョニーは男から目をそらしながら
リーブはそれがくせなのか、警戒するように周囲を見回しながら歩き、デンゼルのテーブルにやって来て席についた。ジョニーはすぐに思い当たった。これはWROのスカウトだ。リーブがデンゼルを軍隊に誘おうとしている。なんとしても止めないと。おれの店でそんなことが決まったらティファに合わせる顔がない。決意を胸にリーブを
「コーヒーをもらおうか」なんという
「はい、了解です」
ジョニーは直立不動で
デンゼルは自分の面接にWROのトップであるリーブが来たことに驚き、挨拶もできずに突っ立っていた。
「すわりなさい」
その声で我に返り、あわてて腰をおろした。
「さて、デンゼル。あまり時間がないからさっそく本題に入ろう」
リーブは淡々とした口調で話し始めた。
「断っておくけど、我々は以前とはちがうんだ。志望者は誰でも歓迎していた時期は過ぎてしまった。復興ボランティアになりたいなら地区のリーダーに連絡しなさい。WROは今や軍隊だ」
「はい。危険は覚悟しています」
「覚悟ね。よし、聞かせてもらおうか。まずはきみの経歴だ」
「経歴ですか? おれ、いや、ぼくはまだ十歳ですから──」
「わかっているよ。でも、十歳なりの経歴があるだろ?」
* *
デンゼルは神羅カンパニーの第三業務部で働く仕事熱心なエーベルと、家事が上手くて社交的なクロエとの間に生まれたひとり息子だった。三人はミッドガルの七番街プレートにある神羅カンパニーの社宅エリアに住んでいた。エーベルは地方の貧しい村で生まれ育った自分がミッドガルの上層で家庭を持てたことに満足していた。しかし、人生にはつねに目標が必要だと考えていたので、新しい目標を伍番街の幹部用社宅エリアに住むことに設定していた。デンゼルがまもなく七歳になるというある日、エーベルは部長に昇進した。それは伍番街の社宅に住む資格を得たことを意味した。報告を受けたクロエとデンゼルは手分けをしてパーティーの準備をした。豪華な料理と子供らしい発想の飾りつけが一家のあるじを迎えた。楽しい夕食だった。デンゼルは上機嫌の父親が冗談を交えながら自分の人生について語るのを聞いた。
「デンゼル。父さんの子に生まれてよかったな。もしスラムに生まれていたら鳥肉の代わりにネズミを食べなくちゃならない」
「鳥肉がないの?」
「あるけどみんな貧乏だから買えない。仕方がないからヤリでネズミを捕まえるんだ。汚い灰色のネズミだ」
「うえっ、まずそう」
「味は──どうなんだ?」
エーベルはクロエにウィンクをしながら言った。
「どう? デンゼル」
クロエはデンゼルの皿を指差して質問した。デンゼルは不安になって両親の顔と自分の皿を見くらべた。父親は笑いをこらえて下を向いていた。デンゼルは母親の口ぐせを思い出した。笑いのない人生に意味はない。二人はまたぼくを驚かそうとしている。
「父さんも母さんも信じないからな!」
* *
「困った親たちだな」
「冗談が好きなだけです。ぼくもからかわれるのはいやじゃなかったし」
「言っておくが、わたしが知る限りスラムでもさすがにネズミは食べなかったぞ。食用ならともかく当時のスラムのネズミは──」
「知ってます。よく知ってます」
「ほう。何かあったのか?」
「──長い話なんです」
* *
デンゼルが留守番をしていると電話が鳴った。エーベルだった。
「母さんは?」怒ったような口調だった。
「買い物に行ってるよ」
「帰ってきたらすぐに電話をくれと伝えるんだ。いや、こっちからする」
父親が何か問題を抱えているのがわかって不安になった。何も手につかなかったのでテレビを見ながら母親の帰りを待った。画面には先日、アバランチと名乗るグループに爆破された壱番
一時間ほどして帰ってきたのは母親ではなくエーベル自身だった。
「母さんは?」
「まだ帰ってこない」
「探しに行くぞ」
エーベルは言い終わらないうちに家を出て行った。デンゼルはあわてて追いかけた。商店街へ行くとクロエはすぐに見つかった。肉屋の店主と楽しそうに話していた。ここで待てと言い残し、エーベルは肉屋へ近づいて行った。声もかけずに妻の手首を
母親が抗議する声を聞いたとき、デンゼルは心臓がドクンと鳴るのを感じた。
「手をはなして! どういうことなの?」
エーベルは周囲を見回してから声をひそめて言った。
「七番街が破壊される。だから急いで伍番街まで避難するんだ。新しい社宅がある」
「破壊?」
「壱番魔晄炉を爆破したやつらが次は七番街を
デンゼルは両親の顔を観察した。笑いをこらえている様子はなかった。
「本当なの?」
左右の手で両親の手を握って言った。
「ねえ、早く行こうよ」
しかし、二人は動こうとしない。
「わたしたちだけ逃げるわけにはいかないわ。ご近所や友達にも知らせなくちゃ」
「時間がないんだ、クロエ。それにこの情報は社の重要機密だ。ぼくはルールを破っている。部長になったというのにね」
母親は
「お父さんと一緒に行って。すぐに追いかけるからね。大丈夫」
デンゼルの手を強く握りしめてから離し、走り出した。
「おい!」エーベルは妻を数歩追ったが、すぐに立ち止まった。デンゼルは父親の苦しそうな顔を見て胸がいっぱいになった。母さんを追いかけたいけど、ぼくが足手まといなんだ。
「デンゼル、伍番街へ行こう」
「やだ! 追いかけようよ」
「母さんは大丈夫。我が家の良心なんだから」
七番街と六番街の境界を、若い男が重そうなスーツケースを引きずって歩いていた。急いで家を出てきたらしく、ネクタイは緩んだままで、ジャケットのボタンをしめるのも忘れているようだった。整った顔を
「アーカムくん」
その男にエーベルが声をかけた。自分を呼ぶ相手に気づいたアーカムは、あわてて走り寄って来た。
「部長、まだこんなところにいたんですか。タークスがもう動いてますよ。今頃は爆弾を仕掛け終わる頃です。おれの同期が車両の手配したみたいですから」
デンゼルは幼い頃から父親に聞かされていたおかげで神羅カンパニーの組織にはくわしかった。汚れ仕事は全部タークスがやるんだ。
そのタークスが爆弾を仕掛けるというのはどういう意味だろう。タークスがアバランチなんだろうか。大人同士の会話の意味を探ろうと、うつむいていたデンゼルは、父親の視線を感じて顔を上げた。
「この子を伍番街まで連れていってくれないか。悪いようにはしない」
エーベルは息子を見たまま言った。
「やだ!」デンゼルは叫んだ。
「父さんは母さんを連れてくる。おまえはこのアーカムさんと行きなさい」
「いっしょに行く」
「いいかな、アーカムくん」
「もちろんです、部長」
「伍番街、社宅エリアの三八番だ。これは鍵。息子に渡しておく」
そう言いながらエーベルは、スーツの内ポケットから出した鍵をデンゼルに無理矢理にぎらせた。
「父さん──」
「新しい大きなテレビを買っておいた。それを見て待っていなさい」
デンゼルの頭を乱暴に
「さあ、行こう。おれはアーカム。お父さんの部下だ。よろしくな」
デンゼルは走り出そうとからだをよじったがアーカムに止められた。
「気持ちはわかる。でもきみのお父さんに言われたら、おれは逆らえないよ。とにかく一度伍番街へ行こう。後はどうしようときみの勝手だ。な?」
同じような家が立ち並ぶ社宅エリアの新しい家の中には、テレビの大きな箱以外は何もなかった。アーカムが箱からテレビを出し、ケーブルを
二人でニュースを見た。爆発する壱番魔晄炉の映像がまた流されていた。デンゼルはアーカムが早く出て行かないかと考えていた。
「おなかが空きました」
「よし、おれが何か買ってきてやる」
その時、家全体が揺れた。どこからかミシリという音が聞こえてきた。アーカムがドアを開くと外から金属がこすれ合う悲鳴のような音が聞こえてきた。
「ここで待ってろよ」と言い残し、アーカムは出ていった。デンゼルが続こうとしたときにテレビの中の声が言った。
「臨時ニュースです」
崩れ落ちる街の様子が映し出された。それが数時間前まで自分たちがいた七番街だとわかるのに少し時間がかかった。場面が切り替わると「現在の七番街の様子です」とアナウンサーが言った。何もなかった。七番街は無くなっていた。デンゼルは家を飛び出した。
街は混乱していた。次は伍番街だと叫びながら逃げ惑う人々の間をぬって走った。やがて、息を切らせて六番街の端まで
「おい、危ないぞ」兵士が声をかけてきた。
「うちはどこだ?」
デンゼルは何もない空間を指差した。
「そうか──残念だったな」
「両親は?」
もう一度、かつて七番街だった空間を指差した。兵士は大きく
「アバランチの仕業だ。忘れるんじゃないぞ。大きくなったら
「さあ、行くんだ」兵士はデンゼルの身体を六番街の方に向かせて背中をポンと押した。
デンゼルは放心状態で歩き出した。周囲の
情けない子供の声だけが消えなかった。それが自分の声だと気づいたらもう歩けなかった。涙が溢れ出してきた。
* *
「神羅がやったんですか?」
「ああ」
リーブは視線をはずしていた。どんな感情も見せてはいけないと心に決めているようだった。
「憎ければ、わたしを好きにしてもいいぞ」
デンゼルは首を振った。
* *
翌日、目が覚めると伍番街の新しい家だった。昨日はなかったはずのマットレスがあり、デンゼルはその上で眠っていた。
「ぼくはかいしゃにいる。ときどきようすをみにくる。それからあまりとおくへはいくな。みんないらいらしているからきけんだ。なにより、さがすのはたいへんだし、きみはけっこうおもい。ついしん。マットレスはとなりの家からかりたので返しておくように アーカム」
七番街が落ちて行く映像がテレビから何度も流された。ミッドガルはもう安全だという神羅カンパニーの告知も何度も聞いた。自分の両親は死んだかもしれないというのに、もう安全だと言われても納得できなかった。安全だから、みんな幸せに暮らせるのかな。その中にぼくは入れてもらえるのかな。デンゼルはパンを食べようとした。口に入れる直前に、パンがつぶれていて中のクリームがはみ出していることに気づいた。腹が立った。そのパンを力いっぱいテレビに投げつけると家を飛び出した。
静かだった。ミッドガルの中心にそびえる神羅ビルが見えた。父さんは生きていて、母さんと一緒に会社に行っているのかもしれない。こんな時だから忙しくて外に出られないんだ。このあたりは神羅の社宅だから、父さんの知り合いがいるかもしれない。知らない大人と話すのは苦手だけど、がんばって聞いてみよう。
まず右隣の家へ行って呼び鈴を鳴らした。返事はなかった。試しにドアを開けてみた。
鍵はかかっていなかったので中へ顔だけ入れて言った。
「こんにちは」少し待ったがやはり返事はなかった。アーカムはこの家からマットレスを借りたようだ。勝手に借りるなんて泥棒じゃないかと思った。
左隣。向かいの家。裏の家。みんな留守だった。少し遠くの家の様子も見に行った。ほとんどの家の扉には、一時的に避難することと、その連絡先を書いた紙がはってあった。
誰もいない。両親が会社にいるなんてこともありえない。いたら絶対にここへ来るはずだから。父さんは無理でも母さんは来るはず。
希望を抱いたり打ち消したりしながら歩いているうちに、すっかり道に迷っていることに気づいた。どこをどう歩いたのか覚えていなかった。涙が流れた。悲しいというよりは腹が立っていた。
立ち止まり、道路に座り込んだ。
デンゼルはそれを拾い上げると思い切り投げた。
「みんなキライだ!」
ガラスが割れる音が住宅街に響いた。続いて女の声が聞こえた。
「誰や! こんなことするのは!」
事態を
「あんたがやったのかい!」
日に焼けた、面長の顔に怒りの表情を浮かべて、老婆は飛空艇の模型をデンゼルに突きつけた。デンゼルは正直にうなずいた。
「どうして──」老婆は途中で言いよどんだ。「泣いてるのかい?」
デンゼルは首を振って否定したが、涙は隠せなかった。
「うちはどこ?」
何も応えられない自分に腹が立って、ますます涙が出てきた。
「とにかく中に入りなさい」
ルヴィの家の中は、デンゼルの家とはまた違った居心地の良さがあった。小さな花柄の壁紙や同じような柄のカバーで覆われたクッションとソファがあった。飾られているのは造花だったが、暖かさ、穏やかさが感じられる部屋だった。デンゼルはソファに腰掛けてルヴィを見ていた。ルヴィは割れた窓ガラスをビニールの袋でふさごうと格闘していた。
「息子が帰って来たらキチンと直させるからね。今はこんなもんでいいだろう」
「ルヴィさん、ごめんなさい」
「こんな時でなかったら、あんたの首根っこつかんで、親のところへ怒鳴り込んでやるんだけどね」
「父さんと母さんは──」
「まさか、あんたを置いて逃げたわけじゃないだろう?」
「七番街にいたんです」
窓の補修を中断したルヴィはソファに腰をおろし、デンゼルを抱きしめた。
デンゼルが落ち着くと、ルヴィは外へ行こうと言った。
「あんたの家を探そうじゃないか」
二人は手をつないで歩いた。デンゼルは六歳になった時から両親と手をつないで歩くのをやめていた。カッコ悪いからだ。しかし今は絶対に離したくないと思っていた。
住民たちのうち、神羅の社員は本社に泊まりこんで事態の収拾にあたり、家族はジュノンやらコスタ・デル・ソルへ避難してしまったらしかった。ルヴィは、どこへ行ってもひとりなら、自分の家が一番いいと残った理由を言った。やがて二人はデンゼルの家を見つけた。
「ありがとうございました。それから窓ガラス──ごめんなさい」
ルヴィは黙ってうなずいた。デンゼルが家に入ろうとすると、ドアのところまでやって来て中を
「あんた、こんな何もない家でどうするつもりだい。うちに来なさい。いいね」
デンゼルはルヴィと暮らすことになった。
ルヴィは壱番魔晄炉が爆破された時から、これは大変なことになると考えて食料をたくさん買い込んでいた。裏庭に物置があり、その中は缶詰などの保存食でいっぱいだった。
「備えあれば憂いなしって言うだろ?」
ルヴィの一日は忙しかった。家の中の掃除、周囲の掃除、食事の用意、裁縫。デンゼルは、裁縫以外はすべて手伝った。眠る前には本を読んだ。ルヴィは厚くて難しそうな本を読んでいた。面白いのかと聞くと、ちっとも、と応えた。息子の本だと言った。これを読めば息子の仕事がわかるかもしれないと、五年以上読み続けているが、眠るために読んでいるようなものだと笑った。
ルヴィは役に立つから読みなさいとモンスター図鑑を貸してくれた。その本もやはり息子のもので、デンゼルの歳くらいに読んでいたらしい。モンスターのカラーイラストと説明がのっていた。どのページにも同じことが書いてあった。モンスターと出会ったらすぐに逃げましょう。そして大人に知らせましょう。もし──もし今、モンスターと出会ったら、ルヴィさんに知らせればいいのかな。でもルヴィさんは戦えなさそうだ。ぼくが戦うことになるんだろうか。できるだろうか。勝てるだろうか。たぶん、無理だ。
自分は何の役にも立たない。だから両親は、ぼくを置いて行ってしまった、と思った。
* *
日差しが強くなり、デンゼルは汗をかいていた。
「まったく──暑いな。水をくれないかな」
リーブはジョニーに言った。デンゼルは汗を
「ずいぶんかわいい柄だな。女の子みたいだ」
「そうですね」デンゼルはハンカチを見つめた。
* *
ある朝、目覚めるとルヴィが襟付きのシャツを見せながら言った。
「これを着なさい。あんたに作ったんだけどそんな柄の布しかなくてね」
白地にピンクの小さな花をたくさんちりばめた模様の、普段なら絶対に拒否するシャツだったがデンゼルは喜んで着替えた。
「これは布が余ったから作ったんだ。持ってなさい」
ルビィが差し出したのはシャツと同じ模様のハンカチだった。ずいぶんたくさん布が余ったらしく、ハンカチは何枚もあった。デンゼルは一枚だけ受け取ると折り畳んで尻ポケットに入れた。
「それから──」ルヴィの顔から笑みが消えた。「なんて言ったらいいんだろうね」
デンゼルは何を言われるのかと身構えた。一番言われたくない言葉が思い浮かんだ。出ていけ。緊張で身体が震えるのがわかった。
「外へ行こうか」
ルヴィは勝手口から裏庭へ出ていった。デンゼルはためらったが、やがてあとに続いた。分厚く敷き詰められた土を踏みしめてルヴィの横に立った。ルヴィは空を見上げて立っていた。
デンゼルも空を見た。空に黒い穴があいたようだった。とても不吉な風景だった。昼間の空にあるのは青と白。それ以外は、
「わたしも何も知らないんだけどね。メテオって言うらしいよ。あれがこの星と衝突して何もかも終わりになっちゃうんだってさ」
ルヴィは物置から缶詰を二個取り出してデンゼルに渡した。
「あんなものにどうやって備えろってんだろうね、まったく」
ルヴィはその日、掃除も縫い物も何もしなかった。ずっとソファで考え事をしていた。
そうかと思うと何度も続けてどこかへ電話をかけた。相手は出なかったようだった。たぶん息子さんにかけたんだろうと思いながら、デンゼルは家の中と外の掃除をした。メテオが衝突した時のことがうまく想像できなかった。それよりもデンゼルには聞きたいことがあった。しかし切り出せずにいた。日が暮れたころ、ルヴィは夢の国から現実に帰って来たとでもいうように、掃除を始めた。デンゼル、あんたのやり方じゃ全然ダメだよ。いったい今まで何を見ていたんだい。それはいつものルヴィだった。
夜、二人で並んでソファに座っていつもの本を読んだ。本に目を向けたままルヴィは言った。
「デンゼル。わたしはここで最後の時を待つつもりだ。星が壊れるってんなら、どこにいたって同じだからね。あんたはどうする? どこかへ行くってんなら、家中の食べ物を持っていってもかまわないよ。あんたはまだまだ子供だけど、最後の場所は自分で決めるのがいいと思うんだ」
デンゼルはルヴィが言ったことについてよく考えた。そして昼間からずっと聞きたかった質問をした。
「ぼく、ここにいてもいいですか?」
ルヴィは本から顔を上げるとデンゼルを見て
それからルヴィはいつもの通りにすごした。ただ、外の掃除だけはしなかった。家の周囲の掃除はデンゼルの仕事になった。
八番街で工事が始まったのが見えた。あっという間に鉄の塔が組み上がって、それは神羅ビルと同じくらいの高さになった。やがて一番上に巨大な大砲が設置された。デンゼルは、神羅カンパニーがメテオを退治してくれるんだ、とルヴィに報告した。
「そうかい。うまくいくといいねえ。でも、あの会社はいつも何か間違えてしまうんだ」ルヴィは悲しそうに言った。
結局その大砲はどこかに向かって一度撃っただけで壊れてしまった。そればかりか神羅ビルが攻撃を受けて、上の方が破壊されてしまった。いったいどんなモンスターがいるのかとデンゼルは考えた。ビルを破壊するほどのモンスターなど想像もつかなかったがルヴィに聞くのはやめておいた。空には相変わらずメテオがあった。他の地域では大騒ぎだったがデンゼルの日常は穏やかだった。
両親に会いたい思いがおさえられず、声を出して泣いてしまうこともあったが、ルヴィに抱きしめられると落ち着くことができた。ルヴィと一緒に眠っているあいだに最後の時が来るなら、それでもかまわないと思った。
デンゼルの平和を奪ったのはメテオではなく怒れる白い奔流だった。星が放ったライフストリームは結果としてメテオを破壊した善なる力ではあったが、その濃密な生命のエネルギーは人間にも破壊をもたらした。
運命の日。デンゼルとルヴィはベッドに入って眠ろうとしていた。外で強い風が吹く音がした。しかしそれは風にしては大きな音だった。やがて家全体がガタガタと揺れ始めた。
最後の時が来たんだ。すぐに終わればいいのにとデンゼルは思ったが、時間がたつにつれて揺れはさらに激しくなった。音は静まるどころかまるで列車が家の横を通り過ぎているような
「ルヴィさん、怖いよ」
ルヴィが起き出して明かりをつけようとしたのと同時に、閉じた花柄のカーテンが真っ白になった。家全体が光に包まれたようだった。
「毛布を
ルヴィはデンゼルに言いつけると寝室を出ていった。家の振動が激しくなり、タンスの上に置いてあった造花が床に落ちた。デンゼルはベッドから飛び出してルヴィを追った。
ルヴィは居間の窓を見つめていた。ビニールで簡単にふさいであるだけの、デンゼルが割った窓だ。そのビニールが今にも裂けそうにふくらんでいた。ルヴィは窓に駆け寄ってビニールを両手で押さえた。
「デンゼル、戻りなさい!」
デンゼルは震えていた。足の裏が床に
「ルヴィさん!」デンゼルはノブを引いてドアを開けようとした。
「デンゼル、やめなさい!」
「でも!」デンゼルはまたノブを引いた。
ルヴィが背を向けて立っていた。足を開き、両手をドアの枠に伸ばして突っ張っている。
「閉めなさい!」
ルヴィの体ごしに、何本かの束になった光が壁に衝突して反射するのが見えた。まるで体が光る蛇のように部屋の中で暴れていた。
モンスター図鑑には載っていないやつだと思った。逃げて、大人に知らせないといけない。いや、この家ではぼくが戦わなくちゃならない。
「ルヴィさん!」そう叫んだ時、光がルヴィを直撃した。短い
ルヴィがその場に崩れるように倒れたのとデンゼルが光に突き飛ばされて気を失ったのはほとんど同時だった。
* *
「どれくらい倒れていたのかわかりません。気がついたら家の中はメチャクチャでした。ルヴィさんが倒れていました。名前を呼んだら少し目を開いて、無事で良かったと小さな声で言ったんです。それから手を握らせてと言いました。ぼくは手を出しました。ルヴィさんは握ったけど全然力がありませんでした。息子の手は大きくなりすぎてもう握れないんだって言いました。ぼくは子供で良かったと思いました。それから外の様子はどうなっているのかって聞かれました。心配だったけど外に出ました。朝でした。あたりは家の中と同じくらいメチャクチャになっていました」
デンゼルはうつむいて話し続け、リーブは目を閉じて聞いていた。
* *
外に出たデンゼルは振り返ってルヴィの家を見た。ガラスをなくした窓が見えた。ぐるりと見回すと他の家の窓も割れていた。屋根がなくなった家、壁に穴があいている家もあった。結局、同じことだったんだ。ぼくが割らなくても同じだったんだと考えた。しかし、そんなことを考えた自分に腹が立ってきた。ルヴィさんはぼくを守ろうとしてひどい目にあったのにぼくは関係ないふりをしようとしている。
家の中に戻るとルヴィは眠っているように見えた。穏やかな顔をしていた。不安になったので肩をゆすってみた。
「ルヴィさん」
しかし目をさます気配はなかった。
「ルヴィさん!」今度は強くゆすってみた。
ルヴィの口の端から黒い液体が一筋流れ出た。それが死のしるしのように思えてあわてて拭き取った。髪の毛の中からも黒いものが流れ出てきた。気持ち悪かった。デンゼルは恐怖にかられて家を飛び出した。
「父さん! 母さん! 助けて!」大きな声で叫んだ。続けて、知っている限りの名前を全部呼んだ。あとは泣くしかなかった。
「おい、泣くな」
誰かが大きな手でデンゼルの頭を乱暴につかんで上を向かせた。黒々とした
「どうしてここにいるんだ? スラムに避難するようにテレビで言ってたろうが」
きちんと答えないとひどく
「テレビは見てませんでした」
デンゼルはしゃくりあげながら言った。
「まったくよ! 知らなかったとか、大丈夫だと思ったとか、そんな奴らばっかりだぜ!」
トラックの男女が決まり悪そうな顔をした。
「で、家族は?」
「ルヴィさんが中にいます」
* *
「ガスキンという人でした。ルヴィさんを裏庭に埋めてくれました。トラックの人たちも手伝ってくれました。息子さんの本と裁縫道具を一緒に埋めました。裏庭に厚く土が入れてあったのでみんなは不思議がっていました。普通はすぐにプレートに当たっちゃうって」
「野菜でも育てるつもりだったのかな。田舎から来たお年寄りは、よくそういうことをするからね」
「──花だと思います」
デンゼルは花柄のハンカチを見ながら答えた。
「家の中は花の模様でいっぱいだったし造花もたくさんありました。でも本当は、本物の花が欲しかったんだと思います。息子さんが神羅の社員だからミッドガルに住んでいたけど、本当はちゃんとした土があって花が育つような──ごめんなさい。話がそれちゃいました」
リーブはうなずきながら聞いていた。
* *
デンゼルたちを乗せたトラックはやがてスラム行きの列車が出る駅に止まった。ガスキンが言った。
「列車は走っていない。復旧の見込みはまったくない。でも、線路は幸運にも地上まで繋がったままだ。歩けば地上に降りられる」
「ミッドガルは危険なのか?」誰かが聞いた。
「そりゃ、わからないね。でも、とりあえず降りた方が安心だろ?」
続けてデンゼルに言った。
「足、滑らすなよ。みんな余裕ねえからな。自分でなんとかするしかねえぞ」
そしてトラックをUターンさせると走り去っていった。駅には大勢の人々が集まっていた。白い光はミッドガル全体に影響を与えていた。家を壊された人々、街が倒れるかもしれないと考えた人々が逃げてきていた。しかし、線路を歩いて地上まで行くことをためらう人々も多かった。メテオが消えたことを喜ぶ声は聞こえず、代わりに、徹底されなかった避難勧告に対する不満が叫ばれていた。父さんがここにいなくて良かったとデンゼルは思った。やがて、人ごみをかき分けてホームへ行き、流れにのって線路に降りた。この先に何が待っているのかわからなかった。しかし、指示をしてくれた大人はガスキンだけだったので、その言葉にしたがうのは当然だとデンゼルは思った。
鉄製の支柱の上に敷かれたレールと枕木の隙間からずっと下の地上が見えた。落ちたら絶対に助からない高さだと思い、デンゼルは慎重に降りた。ミッドガルの外周をらせん状に降りて行く道はうんざりするような長さだったが、足を滑らせないように集中して歩くと何も考えずにすんだ。
突然行き止まりになった。大人たちが立ち止まっている。渋滞が起こっているようだった。人垣をかき分けて前に出ると三歳くらいの男の子がレールと枕木しかない不安定な場所に足を投げ出して座っているのが見えた。
誰かが男の子に話しかけた。
「ママは?」
子供は突然ママと叫びながら泣き出し、下を覗き込もうとした。バランスをくずして落ちそうになったのでデンゼルはとっさに駆け寄って腕を
「おい、その子、やられてるぞ」
「触るな、うつるぞ」
デンゼルは何を言われているのかわからなかった。
「おい、道をあけろよ」
誰かが怒鳴った。仕方がないので男の子の腰に手を回し、引きずるようにして支柱とレールを固定するための鉄板の上へ移動した。どうして誰も手伝ってくれないんだろうと思ったが、その理由はすぐにわかった。その子の背中はべとりと黒く
道が開けたので人々は歩き始めた。男の子は「痛い」と「ママ」を繰り返しながら泣いている。誰かが言った「うつるぞ」という言葉を思い出した。自分も病気になるのかと思い、男の子に腹を立てた。しかしすぐにルヴィのことを思い出した。あんなに親切にしてくれたルヴィから黒い液体が出てきたとき気持ち悪いと思った自分。怖くなって逃げ出してしまった自分。罪悪感で胸がいっぱいになった。だから、男の子に優しくしようと思ったのは罪滅ぼしのつもりだった。ルヴィに許してほしかった。
「どこがいたい?」
男の子の横にしゃがんで聞いた。
「うしろ、いたい」
「背中がいたいのか?」
「うん」
男の子の背中に慎重に手を当てた。お腹が痛いときに母さんに撫でてもらうと痛みが消えた。どこかをぶつけた時も同じだった。母さんの魔法、ぼくにも使えるかもしれない。
デンゼルは少し粘り気のある黒い液体を気にしないようにして撫で始めた。最初は痛がっていた男の子はやがて眠ってしまった。
三時間。もしかしたらもっと長く、時々休憩しながら撫で続けた。人々はデンゼルたちを無視して線路を降りていく。
「もう、死んでるわよ」
顔を上げると疲れた顔の女が立っていた。
胸に赤ん坊を
「女の子みたいなシャツ。変なの。ねえ、ママ、早く行こう?」
ママと呼ばれた女は無言のまま娘の青いジャケットを脱がした。デンゼルに差し出して、
「これをかけてあげなさい」と言った。三枚も重ね着させられて汗をかいていた娘はほっとしたような顔をした。
「あげる。お姉ちゃんのだから大きいの」と女の子は言ったが姉らしき姿はなかった。
デンゼルは自分の横で体を丸めて眠っている男の子を見た。寝息は聞こえなかった。
デンゼルの全身から力が抜けていった。女の子が母親からジャケットを受け取って、さっきの男の子に
「お姉ちゃんといっしょ」と女の子が言った。
「ありがとう」それだけ言うのが精いっぱいだった。母親はすでに歩き出し、女の子も後を追っていった。女の子が自分の手を母親の手にすべりこませた。二人の手は真っ黒に汚れていた。デンゼルは女の子が背負っているチョコボが描かれたカバンを見つめながら思った。
ぼくたちは身体から黒いねばねばしたものを流して痛い痛いと泣きながら死んじゃうんだろうか。病気がうつって、みんな死んじゃうのかな。
* *
「あの頃はまだ
「そうですね。特に子供にとっては」
「うん」
「ぼくは線路の上で考えたんです。早く大人になりたいって。考えてもわからないことを少しでも減らしたいと思いました」
* *
デンゼルはスラムの駅で、逃げてくる人々をぼんやりと眺めていた。次から次へと上層から降りてくる人々は、立ち止まったら終わりだと考えているかのように歩き続けた。自分もそうしなければと思っていたが、ここにいれば知っている顔に会えるかもしれないという期待も捨てられなかった。そんな中途半端な状態のデンゼルを動かしたのは耐え難い空腹感だった。
食べ物を探して駅の周囲を歩いていると、少し離れた場所にたくさんの荷物が積み上げられているのが見えた。そこからさらに先の方で数人の男たちが何かの作業をしているのが見えた。穴を掘っているようだった。風に乗って腐臭が漂ってきた。男が若い女を肩に担いで運んで来て、女をそっと穴の中へ下ろした。そこは臨時に作られた墓場だった。あわててその場を立ち去ろうとしたとき、積み上げられた荷物の中に見覚えのあるカバンを見つけた。チョコボが描かれていた。自分でもよくわからない衝動に動かされて、そのカバンを手に取ると中を見た。クッキーとチョコレートが入っていた。デンゼルは持ち主の女の子のことを考えた。あの子はもういないんだ。
「食え」と声をかけたのはガスキンだった。
デンゼルが漠然と会いたいと思っていた相手だった。
「病気がうつるのが心配か? ただのウワサだ。もしかしたら本当かもしれねえが、今のところウワサだ。それにな、何も食べなくても死ぬぞ。どうせ死ぬなら腹いっぱいで死にたいだろ?」
そう言うとカバンに手を入れてクッキーをつまんで食べた。
「うまい。まだ食える。放っておいたら腐るだけだ。もったいないから食え」
デンゼルもクッキーを食べた。甘さが心地よかった。カバンに向かって声をかけた。
「ありがとう」
ガスキンがデンゼルの頭を乱暴に撫でた。父さんとは全然ちがうタイプだけど撫で方は同じだと思った。
結局、それから約一年、デンゼルはそこで暮らすことになった。その一年の、デンゼルの最初の仕事は荷物の中から食べ物を見つけることだった。すぐに仲間もできた。全員、親を亡くした子供たちだった。ガスキンの仲間も増えていった。考えるのが苦手で身体を動かしていないと気がすまない馬鹿野郎どもとガスキンは言った。最初に遺体を埋葬しはじめた一団だった。デンゼルは時々、笑っている自分に気がついた。元の自分に戻れるような気さえした。しかし、三週間ほどでミッドガルから避難してくる人々の数が減り、駅で力尽きる者もいなくなった。ガスキンたちのここでの役目は終わりに近づいていた。デンゼルは未来に対する不安で眠れない夜を過ごした。
ある日、男がひとり、探しものをしているという様子で歩いてきた。やがて男は、デンゼルと仲間の子供たちに近づいてくると話しかけてきた。
「鉄のパイプが欲しいんだよな。たくさんあればあるほどいいんだけど」
デンゼルたちは鉄パイプを探した。パイプは七番街の
その後、男は何度もやって来た。三度目からは同じように探し物をしている仲間を連れてきた。ミッドガルの東側で新しい街づくりが始まって、そこで使う資材を探しているということだった。子供たちは探し物を届ける代わりに食べ物をもらうことにした。
デンゼルたちは七番街探索隊と名乗るようになった。仕事の依頼はたくさんあった。大人のように働いて生活している自分たちが誇らしく、毎日が楽しくなっていた。両親のことを思って涙が出る夜もあったが、仲間たちで励ましあった。運命共同体という言葉が使われるようになった。しかし、デンゼルたちが考えていたほど、運命は力強く一同を結び付けたわけではなかった。
ある朝、ガスキンが仲間たち、すなわち探索隊の大人と子供を集めると、新しい街づくりに参加するためにみんなで移住しようと言った。ガスキンが言うならそうしようと意見がまとまりかけたとき、子供たちのひとりが聞いた。
「ガスキンさん、具合悪いの?」
その子はガスキンが話の最中に度々胸をさするのを見ていた。
「ちーっとな」ガスキンが上着のボタンをはずすとシャツは真っ黒に濡れていた。
* *
「ガスキンさんは一ヵ月後に死んでしまいました。みんなで特別な場所に埋めてあげました。いい人はみんな死んじゃいますね」
デンゼルの言葉にリーブは静かにうなずいた。デンゼルはコーヒーを口に含んだ。とても苦く、大嫌いな飲み物だったが早くおいしいと思えるようになりたいと思っていた。
* *
大人たちは去っていったが、二十人ほどの子供たちが七番街探索隊として残っていた。
新しい街がエッジと呼ばれて勢い良く発展していることは知っていた。孤児たちのための施設ができたことも知っていた。しかし、自分たちは街づくりの役に立ち、大人に頼ることなく生きている。この場所を去る理由はないように思えた。孤児と呼ばれて保護されるのは格好悪いという意見もあった。しかしそんな子供たちの自負心とは関係なく、街づくりは新しい段階を迎えていた。各地から運ばれてきた大型機械を使った作業が中心になっていた。デンゼルたちが力を合わせて短い鉄骨を一本運ぶあいだに、大型のクレーンが家を一軒そのままの姿で
* *
デンゼルはくすりと笑った。
「どうしたんだ?」リーブが不思議そうに見ていた。
「ぼくはその子が嫌いでした。男たちは女なんか足手まといだとか言うくせに、その子がいるグループに入りたがるし。人数が十人以下になってからは仕事がやりにくくて」
リーブも笑った。
「でも、今はわかるんです。そのころには、そういう、なんていうんだろう、普通のことで悩んだり怒ったりできるようになっていたんだなって」
「その子に感謝、だな」
「もう、いないんです」
* *
目覚めると、探索隊は自分とリックスという少年の、二人だけになってしまったことを知った。
「これじゃあ、ネジや電球が精一杯だ」
デンゼルは笑って言った。
「たいした
リックスもにやにやしながら応えた。
「朝飯、おれが買いに行ってくるよ。仕事も探してくる」
「じゃあ、ちょっと待ってろ」
リックスは金庫の隠し場所へ行ってフタを開けた。
「おい、デンゼル! やられた!」
金庫にはパン一切れも買えないような額しか残っていなかった。二人はしばらくのあいだ黙って座っていた。先に口を開いたのはリックスだった。
「もう、エッジで暮らすしかねえのかな。ただで食い物もらってさ」
「負けだ」
「うん、負けだ。でも飢え死にしたくない」
突然デンゼルは父親が言っていたことを思い出した。
「ネズミつかまえて食うか」
「ネズミ?」
「うん。スラムじゃみんな貧乏だからネズミを食うんだってさ。汚い灰色のネズミさ。ここはスラムだし、おれたちは貧乏だし」
「ホンキか?」
「うん、おれ、ネズミを食ってやる。本物のスラムの子になってやる」
リックスはゆっくりと立ち上がり、ホコリじみたシャツやズボンを
「ヤリがいるんだ」
「ひとりでやれよ。おれは生まれた時からスラムの子だ」
デンゼルは失敗に気がついて、取り
「──知らなかった」
「知ってたらどうした? 仲間にならなかったのか?」
「そんなことない!」
「わかんないね。おまえはツンとすましたプレートのガキだもんな」
「リックス──」
「覚えとけ。ここらのネズミはおまえらがたれ流した汚水のせいで、おっそろしいバイキンを持ってるんだ。そんなもん、食う奴なんかどこにもいない」
リックスはそう言い残して去っていった。
* *
デンゼルは溜息をついた。
「ぼくは追いかけませんでした。許してもらえないと思ったから──」
「どうしてかな?」
「ぼくはやっぱり上の子でした。慣れた駅の周りや、
「リックスは?」
「元気です。まだ口をきいてくれないけど」
「良かった。仲直りのチャンスはまだある」
* *
デンゼルは拾った棒の先を鋭く削ったヤリを持ってネズミを探していた。捕まえて食べるつもりだった。父さん。スラムの人はネズミを食べたりしないんだ。でもぼくは食べるつもりだよ。だって、お金も仕事もないし、ここはスラム以下だから。ぼくは七番街の子だから、こんなところで大きくなれないよ。
孤独がデンゼルの生きる意思を奪っていった。七番街がなくなった時と同じ状況だったが、あの時と違うのは、両親、アーカム、ルヴィ、ガスキン、探索隊、ここまで自分を支えてくれた出会い以上のことはもうないだろうとデンゼルが思い込んでいることだった。
もう笑えない気がしていた。笑えない人生に意味はない。そうだよね、母さん。おっそろしいバイキンでいっぱいのネズミがぼくを助けてくれるはずなんだ。
* *
「おいおいおい!」いつの間にかそばで話を聞いていたジョニーが声を荒げた。
「その時はそう思ったんだ。でも、ぼくはまちがってた。だから今、ここにいる」
「ま、そうだよな」
「最高の出会いがあったわけだ」
「最悪の状況でしたけどね」
* *
ネズミはどこにもいなかった。あても無く探し回るうちに伍番街下のスラムまで来ていた。崩れかけた教会があった。扉の前にはバイクが止めてあった。初めて見る形をしていた。しかし、その形よりも目を引いたのはハンドルにぶら下がった携帯電話だった。
デンゼルの顔に笑みが浮かんだ。ちょっとだけ借りよう。通じたら楽しいだろうな。バイクに近づいて携帯電話を手に取った。自分の家の番号にかけながら、七番街下の瓦礫の中で電話が鳴る様子を想像した。
「七番街の電話は全て不通となっています」
探索隊の仕事をしながらデンゼルは両親を探していたが再会はできなかった。大きな瓦礫の下敷きになっているんだと考えていた。もう、どこかで生きているとは思わなかった。
「七番街の電話は全て不通となっています」
デンゼルは電話を耳に当てたまま上を見た。伍番街のプレートの裏側が見えた。あのプレートの上にルヴィさんが眠っているんだと気づいた。ここはお墓の下なんだ。だからこんなにさびしいんだ。
「七番街の電話は全て不通となっています」
電話を切った。地面に叩きつけようと思ったがやめた。もう一回貸してください。ルヴィの電話番号を思い出そうとしたが、そもそも知らないことに気づいた。ふと思いついて、電話の着信履歴を見た。一番上の番号にかけてみることにした。呼び出し音が鳴った。すぐに相手が出た。
「クラウド、電話してくるなんてめずらしいのね。何かあった?」
その女の声をデンゼルは無言で聞いていた。
相手は不審そうな声で言った。
「クラウド?」
「──ちがうんです」
「誰? それ、クラウドの電話でしょ?」
「わかりません」
「誰なの?」
「わかりません。ぼく、どうしたらいいのかわからないんです」途中から声が震えた。
「きみ、泣いてるの?」
涙が流れた気がした。ぬぐおうとして目を閉じたとき額に激痛が走った。痛みで身体がこわばって電話を落としてしまった。額を押さえてうずくまった。手のひらに粘り気のある液体がついた気がした。やっぱり死にたくないと叫びたくなった。しかし痛みがそれを許さず、心の中で祈るのが精いっぱいだった。黒くありませんように。黒くありませんように。
脈打つ痛みに耐えながら目を開いた。手のひらは真っ黒だった。
* *
「あとのことは覚えていません。気が付いたらベッドの中でした。ティファとマリンがぼくを見ていました。それからのことは──知ってますよね?」
「まあね」
「ぼくはいろんな人のおかげで生きています。両親、ルヴィさん、ガスキンさん、探索隊の仲間たち。生きている人、死んじゃった人、ティファ、クラウド、マリン、それから──」
リーブはわかったとうなずいてみせた。
「ぼくは誰かのそういう人になりたいです。今度はぼくが守る番です」
リーブは黙っている。
「入れてください」
デンゼルは身を乗り出して言った。
「ダメだ。ダメダメ!」とジョニー。
「あんたは黙ってて!」
「おまえ、まだガキじゃねえか!」
「そんなの関係ない!」
「いや」リーブが口を開いた。「実は──WROには子供はいれないことになった」
「ほらみろ!」
「それじゃあ最初から断ればいいじゃないですか」
デンゼルは口を
「いや、今決めたんだ。きみの話を聞きながらね。子供には子供にしかできないことがある。きみにはそれをやってほしい」
「──なんですか?」
「大人の力を呼び起こせ」
デンゼルは続きを待った。しかしリーブは話は終わりというように立ち上がった。
「ああ、それから──」
デンゼルは期待を込めた目でリーブを見つめた。
「母に良くしてくれて、ありがとう」
リーブは尻ポケットからハンカチを出してひらひらと振ってみせた。小さな花の模様がたくさんあった。
リーブが去った後のテーブルをジョニーが片付け始めている。デンゼルはテーブルの上に置いた自分のハンカチを見つめていた。
「おまえよ──」ジョニーが手を止める。
「戦うのなんて、その気になりゃいつだってできるじゃねえか。WROなんて入る必要ないだろ? なんでこだわるんだ?」
「クラウドは──」
「あいつがどうした」
「ずっと前は軍隊にいたから強いんだ。おれも強くなりたい」
「時代はよ──変わると思うぜ」
「どんなふうに」
「そうだな。武器を振り回す男より、誰かの痛みをずーっとさすっていられる。そんな男がモテる時代」
「モテたいわけじゃないんだよね」
ジョニーに冷たく答えながら、デンゼルは自分を励ましてくれた、たくさんの手を思い出した。男も女も大人も子供も、とても力強い手だったように思えた。