ティファは最後の客を送り出したセブンス・ヘブンの厨房で後片付けをしていた。必要最小限の明かりをつけただけの薄暗い店内には他に誰もいない。ほんの数日前までは、家族の姿を見ながら、何の苦も無く終えることができる作業だったが、今は水がやけに冷たく、食器の汚れもなかなか落ちないように思えた。ティファは気分を変えようと店内の照明を全てつけた。一瞬明るくなったが、不安定な電力供給のせいで、すぐにまた薄暗くなる。余計に気持ちがってしまった。自分はこの家の中でひとりきりなのだろうか。やがて、たまらなくなり、娘の名を呼んだ。

「マリン!」

 ほどなく店の奥にある子供部屋の方から慎重そうな足音が聞こえ、マリンが顔を見せた。

「しーっ」

 人差し指を唇に当て、幼いまゆをひそめて非難している。ティファは、ごめんと謝りながらもほっとする。

「デンゼルがやっと眠ったの」

「痛がってたの?」

「うん」

「呼んでくれればいいのに」

「デンゼルがダメだって言ったんだもん」

「そっか──」

 子供に気を使わせている自分が情けなかった。

「それで、なに?」

「ええと──なんだっけ?」

 ティファは感情を隠して意味のない答えを返す。

「さびしくなったんでしょ」

 マリンが大人びた口調で言った。

「うん──そう」

「わたしはどこへも行かないから」

「うん。ありがとう。マリン、早く寝てね」

「寝るところだったの!」

「ごめん」

 ティファは洗い物を中断してマリンの後をついて行った。マリンの両親はすでに亡く、父親の親友だったバレットが引き取って育てていた。そのバレットと知り合った時からの付き合いなので、ティファはマリンの人生の半分近くを知っていることになる。バレットが「落とし前をつける旅」に出ることを決意した時、マリンを預かることは自然な成り行きだった。


 子供部屋にはベッドがふたつ並んでいる。そのうちのひとつでデンゼルが寝息を立てていた。八歳の少年の額にできたせいこんが痛々しい。症状は治まらず、かといって進行するわけでもなくデンゼルを苦しめている。れたガーゼで額のアザから染み出るウミをき取ってやるとデンゼルは少し顔をしかめたが、そのまま眠り続けた。その様子を見守っていたマリンは、自分のベッドに潜り込んでからティファの名を呼んだ。

「わたしたちがいるけど、ティファはやっぱりさびしいんだよね」

「──ごめんね」正直に答えた。

「いいの。わたしたちも同じ」

「うん」

「ねえ、クラウド、どこにいるのかな」

 わからない、とティファは首を横に振った。クラウドはミッドガルのどこかにいる。最初は仕事先で事故に遭ったのか、それともモンスターに襲われたのかと最悪の事態を想像した。しかしすぐにクラウドは仕事を続けていることがわかった。姿を見かけたという人もいる。彼はただ単純に家から出ていっただけだった。ティファは子供たちに、何も問題はないと思わせておく余裕を無くしていたので、デンゼルたちもほどなく何が起こったのかを知ることになった。

「どうしていなくなったの?」

 わからなかった。いろいろ問題はあったかもしれない。しかしティファはクラウドが最後に見せた笑顔を覚えている。何もかも大丈夫だと思わせる優しさがあった。あれは勘違いだったのだろうか。


 あの日。運命の日。宇宙から飛来したメテオを消し去ろうと、大地から噴き出したライフストリームがミッドガルに集結していた。その光景をティファは仲間たちと一緒に空から見ていた。何もかも押し流してくれればいいと思っていた。わたしの過去。わたしたちの過去。もしかしたらわたし自身も。戦いが終わるというあんとともに未来への漠然とした恐怖を感じていた。自分はこのまま生きていてもいいのだろうか。誰かが同じ質問をしたら、ティファは迷わず、どんな事情があっても生きるべきだと答えただろう。しかし自分自身のことになると、わからなかった。


 しんカンパニーがこうエネルギーを開発し、そのおかげで世界は繁栄した。地上は光で満ちあふれたが、同時にやみはより深いものになった。反神羅グループ「アバランチ」はその闇を世間に知らしめるために活動していた。

「魔晄は星を巡る命を吸い出して作ったもの」

 魔晄エネルギーは星を破滅へと導く。しかし彼らの地道な活動もむなしく、世の中は何も変わらなかった。一度知ってしまった魔晄の恩恵に背を向けることは難しい。アバランチは状況を変えようと、より過激な活動を選んだ。多くの人々が暮らす魔晄都市ミッドガル。そこで消費されるエネルギーを生産している魔晄炉のひとつを爆破してしまったのだ。

 爆弾の製造過程でミスがあり、彼らの予想以上の破壊が魔晄炉とその周辺にもたらされた。この事件がきっかけとなり、神羅カンパニーはアバランチ壊滅に乗り出した。たった数人のグループをつぶすために神羅がしたことは、アバランチのアジトがあるミッドガルの一部を住民もろとも破壊してしまうという残忍な仕打ちだった。その結果、直接間接を問わずアバランチが原因で失われた命は数え切れないほどになった。

 そのアバランチにティファは参加していた。

 大きな目的のためには多少の犠牲は仕方がないと考えていた。後ろめたさは、いつでも自分たちの命を投げ出す覚悟があるという自己陶酔が覆い隠した。めまぐるしく変化する状況にみ込まれていった結果、ティファたちは考える余裕を無くしていた。より本格化した神羅との戦いに身を投じるうちに、セフィロスというきょうをも相手にすることになった。ティファは、幼なじみのクラウド、アバランチの生き残りバレット、混乱の中で知り合ったエアリス、レッド〓とともに旅に出た。シド、ケット・シー、ユフィ、ヴィンセントというそれぞれの事情を抱えた仲間が増えた。

 新しい友情が芽生えたが、その代償であるかのようにエアリスの命が奪われてしまった。それでも旅は終わらなかった。ティファに旅の経緯を振り返る余裕ができたのは、戦いが──勝敗はともかく──収束に向かっていると感じられるようになってからだった。

 始まりは、ティファがまだ少女だった頃の出来事。故郷のニブルヘイムに神羅が建設した魔晄炉でトラブルが発生し、村が危険にさらされた。その対処のために神羅が派遣してきたセフィロスに父親を殺された。神羅とセフィロスが憎くてたまらなかった。そしてアバランチに参加した。つまり、個人的な恨みが始まりだった。アバランチが掲げていた反神羅、反魔晄のスローガンは、本当の動機を包み隠すには丁度良かった。しかし失われた命は星を守るための犠牲だったとしても多すぎる。ましてやそれが個人のふくしゅうのためだとしたら。


 罪の意識は心の奥で出番を待っていたのだ。この感情と一緒に生きていくことができるのだろうか。未来を恐れながら、ティファは空から地上を見ていた。しかし、隣で同じ光景を見ていたクラウドは穏やかにほほんでいた。旅の最中には見たことのない表情だった。クラウドはティファの視線に気づく。

「どうした?」

「クラウド、笑ってる」

「そうか?」

「うん」

「これから始まるんだ。新しい──」クラウドは言葉を探してから「新しい人生」と言った。

「俺は生き残ってやる。そうすることでしか許されないと思うんだ。いろいろ、あったから」

「そう──だね」

「でも、新しい人生のことを考えたのは何度目だろうと思ったら、おかしかった」

「どうして?」

「おれは全部失敗してるからな」

「笑えないよ」

「──次は大丈夫だと思うんだ」 クラウドは少しの間考えてから続けた。「今度はティファと一緒だから」

「ずっと一緒だったじゃない」

「少し、意味がちがうんだ」クラウドは再び笑顔で答えた。


 ティファは仲間たちとともにエアリスに会いに行った。忘らるる都の泉で眠っているはずのエアリス。彼女が命と引き替えに救おうとした世界は、もう大丈夫。ティファはそう報告した。

 あなたは大丈夫? と声が聞こえた。それはエアリスの声なのか、自分の声なのかわからなかった。ティファは泣いてしまった。セフィロスによってエアリスの命が奪われた直後は、その死をいたむ余裕はなかった。悲しくはあったが、それは敵への怒りと憎しみに変化していった。

 しかし改めてこの場所を訪れて感じた悲しみは、心を切り裂く痛みを伴っていた。その痛みに耐えながらティファは思った。アバランチの一員として、わたしはこんな思いを大勢の人にさせたんだ。さらに涙があふれてきた。

「ごめんね。ごめんなさい」

 肩にクラウドの手を感じた。わたしが迷わないように、しっかり抑えてくれているようだ、とティファは思った。今は思う存分泣こう。そして、後はこの手に身をゆだねよう。自分ひとりではどうしていいのかわからないから。


 苦難の旅をともにした仲間たちとの別れは、あっさりしたものだった。ヴィンセントは列車の席がたまたま隣り合わせになった人のような素っ気なさで去っていった。仲間がこんなことでいいのか、とユフィが抗議した。生き残ったんだからいつでも会えると言ったのはバレットだったか。シドだったかもしれない。

 その後、ティファはクラウド、バレットと一緒にコレル村へ行った。バレットの故郷だった。

 バレットにとっては、この村で起こった魔晄炉を原因とする惨事が全ての始まりだった。黙って村をいちべつすると、来るんじゃなかったと言った。バレットもまた罪を抱えて生きていかなくてはならないのだ。

 ニブルヘイムへも行った。ティファとクラウドの故郷だった。懐かしさは感じなかった。この村で起こった事件を鮮明に思い出しただけだった。

「来ない方が良かったな」とクラウドは言った。「過去に引き戻されそうだ」

 ティファもまったく同じことを考えていた。

*  *

 そしてカームへ行った。エアリスの養母エルミナと、預けていたマリンが待っていた。エルミナの親戚の家があり、二人はそこの世話になっていた。バレットとマリンは再会を喜び合った。クラウドはエルミナにエアリスの身に起こったことを話し、助けられなかったことを謝罪した。

「あんたたちが謝ることはないよ。精いっぱいやってくれたんだろ?」

 エルミナの言葉に、ティファは何も答えられなかった。


 カームの街はミッドガルから避難してきた人々でいっぱいになっていた。普通の家が緊急の避難所になった。宿屋でさえ無料で避難民に部屋を提供していたが、それでも収容しきれないほどの人々が通りに溢れていた。皆、同じように疲れて見えた。病気にかかっているらしい人が大勢いた。

「伝染病だってうわさだぞ。マリンにうつったら困る。さあ、帰ろう」

 すっかり父親の顔になってバレットが言った。

「うん、帰ろう」とクラウドが同意した。

「ああ、でもよ、おれたち、どこへ帰るんだ?」

「中断された現実」

「なんだそれ?」

「普通の生活さ」

「そんなもん、どこにあるんだ」

「見つけるさ」クラウドはティファを見て言った。「な?」

「うん!」と元気よくマリンが答えた。ティファもうなずいたが、バレットと同じく、それはどこにあるのだろうと思っていた。


 四人はミッドガルにやってきた。街はメテオ消滅直後の衝撃と混乱から早くも立ち直ろうと動きだしていた。人々が未来──あるいは、とりあえずの生活に向けて動きだしていた。その様子がまたティファを責めた。何もかも押し流されてしまえばいいと空から見ていたミッドガルには、こんなにもたくさんの人生があったのだ。ティファは自分の身勝手さをけっして許すまいと思い、クラウドとバレットに飛空艇で自分が考えていたことを告白した。男たちは、その気持ちはわかると同意しながらも、ティファをしっした。どこにいて、何をしていても罪の意識から逃れることはできないだろう。それなら、とバレットが言った。

「おれたちは生き続ける。一生罪を償いながら生き続ける。それしか道はない」と。


「あまり思い悩むのはティファらしくない」

 二人きりの時にクラウドが言った。

「わたしは──こんなもんよ」

「いや」

「もっと強い。忘れてしまったのなら、おれが思い出させてやる」

「本当?」

「たぶん」照れながらクラウドは言った。


 最初のうちはミッドガルとその周辺の情報収集をしていた。物資は何もかも不足していたが、それ以上に、どこに行けば何が手に入るのかという情報が行き渡っていなかった。三人は手分けして集めた情報を、必要としている人々に知らせて回った。自力で動けない人には力を貸した。夜はミッドガルの、いつ崩れても不思議ではないと噂されていたプレートの下で眠った。

 ある日、バレットが家の解体を手伝った礼にもらったという酒瓶、ヒーター、そして何種類かの果物を持ち帰ってきた。

「まあ見てろって」バレットは片手だけで器用に料理に見えないこともない作業を始めた。

 それがコレル村独特の酒であることがわかったのは二週間ほどたってからだった。ティファとクラウドはおそるおそるそれをすすった。バレットは浴びるほど飲み、気持ち良さそうに平和だった時代の思い出を語った。酒を飲み過ぎて井戸に落ちたこと。今は亡き妻に結婚を申し込む時も飲み過ぎてわけがわからなくなったこと。ティファとクラウドは久しぶりに声を出して笑った。

 翌日、バレットはな顔をして言った。

「店を作ってこの酒を売るってのはどうだ?」

「おれたちが?」クラウドは驚いて聞き返した。

「バカ言え! おれたちに接客は無理だ。ティファがやるんだよ」

「わたし?」

「得意じゃねえか」

 かつてのアバランチのアジトはセブンス・ヘブンという名の居酒屋だった。その店がメンバーの生活のかてと活動資金を稼ぎ出していた。ティファはその店の看板娘兼、実質的な経営者だった。

「おれが見たところ、ミッドガルの連中は二種類に分かれる。この街に起こったことをまだ受け入れられずにグジグジしてる連中と、とにかく生きようとして体を動かしている連中だ。でな、おれにはどっちの気持ちもわかる。みんな問題を抱えていて、どう対処するかの違いだけだろ? ってわけでな、みんなの問題を解決するのが酒だ」

「なぜ?」

「わかんねえよ。でも、昨日みんなで酔っぱらって笑ったじゃねえか。いろんなこと忘れられただろ? その瞬間だけはよ」

「まあ、そうだな」

「だろ? だろ? そういう時間が大事なんじゃねえか? な、ティファ。どうだ?」

 ティファは即座に答えられなかった。バレットが言っていることはわかる。しかし店を開くことでアバランチ時代に逆戻りしてしまうような気がした。

「ティファ、やってみろよ。つらかったらやめればいい」

 ティファの心を見透かしたかのようにクラウドが言った。

「辛くねえって。ティファは働いてないといろんなこと考えちまって、なーんもできなくなっちまうんだから」

 その通りかもしれない。

 三人は準備を開始した。店はミッドガルから東にできつつある通り沿いに作ることにした。必要な資材は、誰もがそうしているように、ミッドガルから運び込むことにした。やがて、ティファたちが知らせて回った情報に助けられ、恩を感じていた人々が集まって、店作りを手伝ってくれた。

 バレットが大声で指示を出し、クラウドは小声でそれを修正して回った。ティファはコレル酒の作り方を覚え、改良し、飲みやすい酒にした。さらに、安定して調達できそうな食材を使った、店で出す料理を考えた。マリンは店作りを手伝ってくれる人たちのマスコット的な存在だった。新しい店の看板娘は自分だと主張していた。毎日新しい問題が起こり、それを解決することは大変でもあったが、達成感があった。時折、笑っている自分がとても罪深い存在に思えたが、慌ただしい日々の中には、ひとりで悩む時間などなかった。

 あと何日かでオープンできるかもしれないとクラウドが言うと、バレットが、そろそろ名前を決めようと提案した。幾つかの案が出たが、クラウドの案は無味乾燥で、バレットの案は店ではなくモンスターを思わせた。結局、ティファが決めることになった。男たちはどんな名前でも文句は言わないことを約束した。しかしオープンを目前にしてティファの仕事はますます増えていったので、名前を考える余裕はなかった。


「ねえ、店の名前、決まった?」

 マリンが恥ずかしそうに言った。

「まだ考え中だけど──何かアイディアがあるなら言ってみて」

「セブンス・ヘブンがいいな」

 ティファがそれだけは避けたいと思っていた名前だった。

「どうして?」

「だって楽しかったよ。セブンス・ヘブンにしたら、また楽しくなるよ」

 ティファはすっかり忘れていた。大人たちには野望があったが幼いマリンには関係なかった。マリンにとってセブンス・ヘブンは、バレットとティファ、そして仲間たちがいた楽しい家なのだ。

「うーん、セブンス・ヘブンか」

 過去を消すことはできない。折り合いをつけて生きていくしかない。ティファは覚悟を決めた。


 セブンス・ヘブンはオープン初日から盛況だった。コレル酒はその気になれば自宅でも作ることは可能だったし、料理も特別なものは何もない。安定して入手できる食材が限られているので凝ったものは作れなかった。それでも人々は、こういう場所を求めていたのだ。仲間と酒を飲みながら過ごせる場所。現実をみしめ、あるいは現実を忘れ、未来に思いをせる場所。

 金が無くても物々交換で飲むことができるようにした。子供連れでも入れるように、ジュースも数種類用意した。マリンが味見して気にいったものだけを店に出した。マリンは店にとっては欠かせない存在だった。夜、あまり遅くないうちはウェイトレスとして働いた。飲み過ぎた客には、ちゅうちょ無く帰るように命じた。

 バレットは店の隅でちびちびと酒をすすっていた。もしかしたら用心棒のつもりだったのかもしれない。クラウドの仕事は食材と酒の原料を入手することだった。しかしそれには問題があった。クラウドは野菜や果物の名前をほとんど知らなかったのだ。最初は驚き、あきれたティファだったが、クラウドが過ごしてきた人生を考えると仕方のないことだと思い直した。クラウドの新しい人生は、野菜の名前を覚えることから始まる。そして、どこかの誰かと交渉して、公平な条件で食材を調達することも、クラウドにとっては初めてのことに違いない。文句も、愚痴も言わずに毎日出かけていくクラウドがとてもいとおしく思えた。同時に、わたしのために無理をしているのではないか、という思いもあった。ある日、店が軌道に乗ったら、出ていってしまうのではないだろうか──ティファは頭を振って不安を追い払おうとした。これ以上を望んではいけないと自分に言い聞かせた。


 出ていくと言い出したのはバレットだった。開店一週間目。店の好調な滑り出しを確認したバレットは、マリンを置いて旅に出ると宣言した。

「おれはな、自分の人生に落とし前をつけてえんだ」

 バレットの言葉にティファは動揺した。クラウドは落ち着いてうなずいている。まるで事前に聞いていたように。

「落とし前って──それなら、わたしだって」

「ティファはここでできるじゃねえか。奪うだけじゃない。与えることもできるって証明してみろ」

 バレットはそれだけ言うと、準備があるからと店を出ていった。

「知ってたの?」

「うん」

「止めた?」

「いや。ここはティファの場所だって言うから──」

「──そう。それなら、仕方ないね」

 クラウドもそう思っているの? 本当はそう聞きたかった。


 バレットが出発する前の晩、いつもはティファと眠っているマリンは、養父のベッドで眠った。夜遅くまで二人の話し声が聞こえていた。

 朝早く、バレットは出ていった。その背中にマリンが言った。

「お手紙ちょうだいね! 電話もね!」

 バレットは義手代わりに機関銃を取り付けた右腕を軽くあげて、振り向かずに歩いていった。戦い以外に生きる道はないという後ろ姿だった。バレットはいったいどんな人生を見つけるのだろう。願わくは戦いから遠ざかることができますように。奪うだけじゃない。与えることができるってことを証明できますように。

「ちゃんとここんちの子供になるからね!」

 マリンのその言葉にクラウドとティファは顔を見合わせた。ここんちの子供?

「ティファとクラウドのことはまかせて!」

 振り返ったバレットは大声で言った。

「しっかりな!」少し声がかすれていた。

「家族で力合わせてがんばんだぞ!」


 罪の意識に押し潰されずに生きるためには仲間が必要だった。たとえそれが同じ傷を持った者同士、同じ罪を背負った者同士であったとしても。慰め合い、励まし合わなければ生きていけない。なるほど、それは家族と呼んでもいいのかもしれない。家族で力を合わせてがんばればいい。家族という仲間と一緒ならどんなことでも乗り越えていけるはずだ。

「家族、だね」

「うん!」

 ティファのつぶやきにマリンが元気よく答えた。

「クラウドも家族に入れてあげるね」

「それはありがたいな」

 マリンの無邪気な申し出に、クラウドは真面目な顔で礼を言ってからティファを見た。ティファは小さくうなずいて見せた。これからもいろいろな問題が起こるのだろう。でも、二人の関係を心配するのはこれで止めよう、とティファは思った。


 店を始めてしばらくたった頃だった。食材の調達に出ていたクラウドから電話があった。セブンス・ヘブンで一生ただで飲み食いできる権利を発行してもいいか、という相談だった。ティファは事情を聞くことなく了解した。きっとそのおかしな権利と引き替えに、どうしても欲しいものがクラウドにはあるのだ。

 夜になり、クラウドは見たこともないような型のバイクに乗って帰ってきた。それ以来クラウドは、少しでも時間ができるとバイクの整備をするようになった。どこで知り合ったのかエンジニアを連れてきて、改造の相談をしている。何人かがクラウドのバイクの完成のために力を貸してくれているようだった。それをマリンと近所に住む小さな友人たちが見つめている。その光景は、わたしたち家族は確実にこの世界の住人になろうとしているのだ、とティファを安心させた。

 クラウドは仕入れのためにミッドガルを出ることが多かった。行き先は主にカームだった。レンタルのバイクやトラック、時にはチョコボを使うこともあった。しかし、自由に使える自分のバイクを手に入れてからは遠出ができるようになり、時折、珍しい食材を持ち帰ってティファを驚かせた。

 ある夜、セブンス・ヘブンにクラウドての電話がかかってきた。少し話してから電話を切るとクラウドは出かけてくると言った。

「どこへ行くの?」

「なんて言ったらいいかな」

 クラウドは食材調達の帰りに、ミッドガルへの届け物を頼まれることが多いのだと言った。電話の相手はいつも野菜を分けてくれる家の主人で、どうしても今夜中に届けたいものがあると言っているらしい。クラウドは隠し事がばれた子供のような顔をしてティファを見つめた。

「どうしてそんな顔してるの?」

「いや──黙っていて悪かった」

「何を?」

「勝手なことをして」

 ティファは噴き出した。クラウドは荷物を届ける代わりに多少の手間賃を受け取っていたので、それが後ろめたかったと言った。そのお金はすべてバイクの改造につぎ込んだらしい。まるで子供じゃない、とティファは思った。クラウドが自分の知らない別の世界を見つけていたことはさびしくもあった。しかし、クラウドの世界が広がること自体は歓迎すべきだとも思った。そう、これは母親が抱く感情に似ているのではないだろうか。クラウドを送り出したティファは、自分の中に芽生えた新しい感情を楽しんでいた。


 ティファは自分の中にある罪の意識とうまく付き合うことができるようになっていた。忘れることはない。いつか罰せられる日が来るかもしれない。その時が来るまでは前を見て生きよう。奪うだけではなく、与えることもできるのだということを自分自身に証明しながら。


 ティファはクラウドに、荷物の配達をきちんとした商売にするように勧めた。仕事の依頼はこの店で受ければいい。電話の応対くらいなら、わたしもマリンもできる。クラウドは躊躇していたが、一晩考えてからその提案を受け入れた。躊躇の理由はわからなかったが、ティファは気にしなかった。どうせまた何か遠慮しているのだろう、としか思わなかった。

 こうしてストライフ・デリバリー・サービスがスタートした。業務エリアをミッドガルを中心とした世界全域とした。ただしバイクで行ける範囲。クラウドは誇大広告だと笑った。セブンス・ヘブンと同じく、クラウドの仕事も大盛況だった。誰かに何かを届けたいと思っても簡単にはいかない時代だ。モンスターがいなくなったわけではないし、ライフストリームが噴出した影響で寸断されたまま放置されている道も多い。世界を駆け巡るこの仕事は誰にでもできるというものではない。求められていた仕事だった。人付き合いが苦手なクラウドの仕事が、人と人を荷物で結ぶことだというのは、なかなか素敵だとティファは思っていた。


 クラウドがデリバリー・サービスを始めてから「家族」の生活は大きく変化した。それはあまり良い形ではなかった。クラウドは朝と深夜以外はほとんど家にいなかった。当然のように三人の会話は減ってしまった。ティファは週に一度店を休んだが、その日にクラウドの仕事が休みだとは限らなかった。クラウドは依頼を断ることはまずなかった。たまには一緒に休んで欲しいと思ってはいたが、それはわがままだとティファは自分を抑えていた。


 クラウドの変化に気づいたのはマリンだった。クラウドが時々上の空で、わたしの話を聞いていないとティファに訴えた。もともとクラウドからマリンに積極的に話しかけることはなかった。しかし、話しかけられて無視するようなこともなかった。クラウドなりのやり方でマリンとうまくやっていこうとしているのがティファにはわかった。それは、どこにでもいる、子供が苦手な人の対処の仕方だ、と思っていた。

「クラウドは疲れているんじゃないかな」

 そう答えたものの、やはり気になった。マリンは大人の変化には敏感な子だ。

 休日にティファとマリンは、クラウドが事務所にしている部屋の掃除をしていた。たくさんの伝票が整理されないまま散らかっている。その中の一枚が目にとまった。

 依頼者 エルミナ・ゲインズブール

 荷物 花束

 届け先 忘らるる都

 ティファは何も見なかったかのように伝票を他と一緒にまとめて片付けた。しかし激しく動揺していた。荷物を運んで世界を巡ることが、そのまま過去を巡ることになっているのではないだろうか。エアリスの命を守ることができなかったという事実がクラウドを苦しめているのは知っている。クラウドはそれを乗り越えて生きようとしていた。しかし、エアリスと別れたあの場所へ行くことは悲しみと後悔で、再び心を切り裂くことになるのではないだろうか。

 夜、閉店後にクラウドが珍しく酒を飲んでいた。グラスが空になった。ティファは考えた末に酒をつぎ足してやった。

「付き合おうか」話したいことがあった。

「ひとりで飲みたい」

 クラウドのその答えにティファは自制心をなくして言ってしまった。

「だったら部屋で飲んでよ」


 バレットからは時々電話があった。自分のことはほとんど話さず、マリンの様子を聞くのが常だった。そして最後にマリンと話す。ティファが聞いていないと思ったのかマリンは寂しそうに言った。

「クラウドとティファがあんまり仲良しじゃないの」


 ティファは努めてクラウドに話しかけるようにした。マリンが近くにいる時は特に積極的に話しかけた。話題は、深刻にならなさそうなものを選んだ。クラウドはティファの変化に戸惑っていたが、すぐにその目的を察して、調子を合わせた。マリンも会話に参加してきた。ティファの試みはうまく行っているように思えた。

 ある朝、ティファは店の常連から聞いた笑える話を披露した。

「それは確かにやってられないな」とクラウドは感想を言った。

「やってられない!」とマリンは叫んだ。

 大人たちは驚いてマリンを見た。

「その話は前にもしたじゃない。クラウドは同じように答えたじゃない!」


 うまくいってはいない。でも、一緒にいた。なぜなら家族だから。同じ家に住み、力を合わせて生きている。会話も笑顔も少ないかもしれない。でも、わたしたちは家族なんだとティファは思った。いや、思い込もうとした。

 クラウドが眠っているのを確認してから声をかけてみる。

「わたしたち、大丈夫だよね?」

 もちろん答えはない。寝息が聞こえるだけだ。クラウドがここで眠っているという事実だけが家族の証明なのだろうか。

「わたしのこと、好き?」

 クラウドは目を覚ます。げんそうな顔。

「ねえ、クラウド。マリンのこと、好き?」

「ああ。でも、時々どう接したらいいのかわからない」

「もうずいぶん一緒にいるのに?」

「それだけじゃ、ダメなのかもな」

「──わたしたちも?」

 クラウドは答えない。

「ごめんね、変なこと聞いて」

「あやまるな。おれの問題だ」

 クラウドは目を閉じる。

「一緒に、がんばろうよ」

 ティファはクラウドの答えを待ったが、それは朝まで待っても聞けなかった。


 それからほどなくクラウドがデンゼルを連れてきた。バイクと一緒に置きっぱなしにしてあったクラウドの携帯電話を使って、店に電話をかけてきた男の子だった。

 電話に出たティファは、まずクラウドの身を案じた。しかしすぐに、少年の様子がおかしいことに気づいた。やがて少年の声は聞こえなくなり、クラウドが出た。状況を聞こうとすると、クラウドはなぜか口ごもった。

「どうしたの? その子、だいじょうぶなの?」

「いや──辛そうだ」

「だったら、うちに連れてきたら?」

「この子は──星痕みたいだ」

 クラウドの言葉に、ティファはすぐに返事ができなかった。星痕症候群はライフストリームがメテオを撃退したあの日以来、世界中にまんえんしている病気だった。治療方法はまだ見つかっていない。症状は人それぞれで、病気だとは思えないほど元気な者もいるし、すぐに死んでしまう者もいる。そして、ティファにとって最も重要だったのは、星痕は伝染するという噂だった。家族の誰かにうつるかもしれない。ティファは経験的に──噂どおりなら、世界中に健康な人はいなくなってしまう──伝染しないと信じていたが、それでも不安はあった。また、噂は根強く、真実はどうあれ、店にも影響があるかもしれない。しかし、一度、うちに連れてこいと言ったのに、星痕だからダメだとは言えなかった。

「星痕はうつらないと聞いている」

 クラウドがティファの迷いを察したように言った。そして気づく。クラウドはその子をうちに連れてきたがっている。

「うん、連れてきて」

「裏口から入れる。それから、マリンを預かってくれそうな人はいるか?」

「うん」

 電話を切ったティファは、クラウドが店やマリンのことを気づかっていることを不思議に思った。やがて理解した。クラウドはティファが反対すると考えた。それでも連れてきたかったのだ。理由が知りたいとティファは思ったが、実際にデンゼルが連れてこられて、その世話をするうちに、疑問はどこかへ消えてしまった。

 デンゼルの体力が回復すると、ティファはここに至るまでの経緯を聞いた。そして、デンゼルはここへ来るべき子供だったのだと思った。デンゼルの両親はミッドガルの七番街が破壊された時の被害者だった。七番街が破壊された原因は、アバランチにある。だからわたしは責任を持って、この子をきちんと育てあげなくてはならない。デンゼルは、わたしの所へ来るためにクラウドと出会ったのだ。

 ティファはデンゼルを家族に迎え入れたいとクラウドに相談した。クラウドは黙ってうなずき、預けられていた常連の家から戻ったマリンは、とても喜んだ。

 デンゼルは、最初のうちは、あくまでも一時的に世話になるという態度を取っていたが、店やクラウドの仕事を手伝ううちに次第に心を開いていった。


 店に来る客は目に見えて減っていた。理由はわかっていたが、ティファとクラウドはもちろん、マリンもけっしてそれを口にしなかった。


 夜、店の営業が終わって、ちゅうぼうの後片付けをしながら顔を上げると、真ん中のテーブルにストライフ・デリバリー・サービス社長のクラウド、そしてアシスタントのマリンとデンゼルの姿があった。デンゼルは星痕に苦しめられていたが、痛みや熱が出ない日もあり、そんな時はクラウドにまとわりつくようにして過ごしていた。クラウドは仕事で一日の大半を外で過ごすので、帰宅後の時間はデンゼルにとってヒーローと過ごす大切な時間だった。そう、デンゼルにとってクラウドはヒーローだった。突然星痕の症状が出て死の恐怖と戦っていたデンゼルを助けたのがクラウドだったという出会いはもちろん、身のこなしや乗り回しているバイク、全てがあこがれの対象だった。デンゼルは何でもクラウドに聞きたがった。ティファに答えられる質問もクラウドの帰宅を待ってからするくらいだった。一度ティファは冗談半分に、毎日ご飯を作っているのはわたしだと言ったことがある。デンゼルは大人ぶった口調で、ぼくだって毎日店と家の掃除をしていると言った。確かにその通りで、デンゼルの掃除ぶりは徹底していた。亡くなったお母さんに教わったのかと聞いたら、違うとだけ答えて黙り込んでしまった。後日、ティファはクラウドから、デンゼルの掃除の師匠のことを聞いた。クラウドには話していたのだった。これにはティファも腹を立てた。

 どうしてクラウドには話して、わたしには話さないのかと悩みさえした。ある日、年配の常連客にその話をして、どう思うかと聞いてみた。答えは、男の子はそんなもんだよというものだった。何の問題もない、普通の家族じゃないか、と。その答えに納得したわけではなかったが、普通の家族という言葉にティファは安堵した。閉店後のテーブルに陣取った三人は、少し若い父親と子供たちと言ってもおかしくなかった。自分もその気になれば、いつでもそのテーブルに笑顔で迎えてもらえる。

 クラウドは地図を広げて翌日の仕事の予定、主に配達ルートの確認をしていた。デンゼルとマリンは伝票の整理。マリンは読めない字があるとデンゼルに聞いた。デンゼルはお兄さんぶって、マリンに教えた。デンゼル自身にも読めない字はクラウドに聞いた。クラウドは読み方を教え、それからペンを渡すのが習慣だった。書かないと覚えないからな、と言った。子供たちは伝票に記された地名を見ては、そこはどんなところかとクラウドに聞いた。クラウドの説明は簡潔だった。人は多い。人は少ない。モンスターが多いから危険だ、北ルートが安全だ。それだけ? と思うような説明だったが子供たちは満足しているようだった。ティファはつい口を出したくなる。補足説明をするとデンゼルはクラウドに本当かと聞く。少し腹立たしいが、それでもいいと思った。普通の家族ってそんな感じなのだろう。

 デンゼルの登場で、我が家は本当の家族になれたのではないかとティファは思った。クラウドは明らかに仕事を減らしている。夜は必ず子供たちとの時間を持つようにしていた。ティファとの間には日常の他愛のない会話も復活した。


「問題は解決したの?」

「どの問題だ?」

「あなたの問題」

「ああ──」

 クラウドは考え込んでしまった。

「言いたくないなら、いい」

「うまく説明できないけど──」と前置きをしてクラウドは話し始めた。

「問題は解決していない。いや、解決することはずっとないんだと思う。失われた命は取り戻せない」

 ティファは黙ってうなずいた。

「でも、今、危機にひんしている命を救うことならできるかもしれない。それなら、おれにもできるかもしれない」

「デンゼル?」

「ああ」

「ねえ、デンゼルを連れてきた時、あなたが言ったこと覚えてる?」

「なんて言ったんだ?」

「いろいろ。わたしが反対しても、この子は連れて帰る。そう決めてる感じだった」

「それは──」クラウドは、いつかのように、しかられると思っている子供のような顔をしていた。

「言ってみて。怒るかどうかは聞いてから決める」

 クラウドはうなずいてから続けた。

「デンゼルは──エアリスの教会の前で倒れていた。だから、エアリスが、おれのところにデンゼルを連れてきたんだと思った」

 それだけ一気に言うとクラウドはティファから目をそらした。

「教会へ行ったんだ」

「隠すつもりはなかった」

「隠してた」

「悪かった」

「ダメとは言ってないでしょ。でも今度はわたしも一緒に行く」

「うん」

「それにクラウド、あなたは間違っている」

 クラウドは怪訝そうな顔でティファを見た。

「エアリスはあなたのところへデンゼルを連れてきたわけじゃない」

「ああ、おれがそう思っただけだ」

「そういう意味じゃなくて」

「エアリスは、わたしたちの家にデンゼルを連れてきたのよ」

 クラウドはティファを見つめ、やがて微笑んだ。


 そんな会話があってから数日後に、クラウドは出ていった。あの微笑みが見せた未来は幻だったのだろうか。ティファは子供たちの寝顔に口づけをしてからクラウドのオフィスに入った。家族で撮った写真にうっすらと積もったほこりを払ってから電話をかけてみる。数回の呼び出し音の後、電話は留守番サービスに切り替わった。