古代種の遺跡──

 しんカンパニー総務部調査課、通称タークスの主任であるツォンに課せられた任務は、セフィロスに先んじて、黒マテリアと呼ばれる秘石を手に入れることだった。しかし、あと少しというところでそのセフィロスが現れ、ツォンはひんの重傷を負わされる羽目に陥った。出血は止まらず、意識が遠のく。そして、最早これまでと死を覚悟した時に、エアリスと仲間たちが現れた。彼女たちもまたセフィロスを追って遺跡まで来たところだった。


 古代種のまつえいであるエアリスを監視し、機会を見計らって社への協力を要請することが、長い間、ツォンの日常業務になっていた。時に、部下たちが粗暴なやり方で圧力をかけることもあったが、神羅カンパニーとしては異例の、穏やかな作戦だった。かつてエアリスの実母を暴力的に支配しようとして、結果的に失ってしまったことへの反省が作戦の根本にあった。

 この世界にたったひとりしかいない古代種の末裔、エアリス。その存在はおごそかで、社の後ろ暗い部分を代表するような自分が近づける相手ではないとツォンは思い、ただ見守るだけの日々が続いていた。

 最初に声をかけてきたのは、まだ幼かったエアリスからだった。

「いつも、ごくろうさまです」

 少女の言葉にツォンは耳を疑った。黙っているツォンにエアリスは続ける。

「守ってくれてる。でしょ?」

 任務のことを考えると、その勘違いを利用した方が良かったのだろう。しかし、ツォンは真実を正直に告げた。人生で最も正直だった瞬間だった。

「わたしは神羅カンパニーのツォン。きみに話があるんだ」

「神羅、キライ!」

 走り去る幼い後ろ姿を見送りながら、ツォンは、これで良かったのだと安心した。いつか力づくで連れ去る日が来たとしても、だますようなことだけはできないと思った。

 やがて年月は過ぎ、どういう経緯か、大人になったエアリスが反神羅組織アバランチと接触を持ったことで事態は急転した。状況の把握が追いつかないことで動揺したツォンは、のちに部下たちに冷やかされるほどの偽悪的な態度でエアリスを扱った。そのことで部下が何か言うたびにツォンは思う。

 偽悪ではない。エアリスにとって神羅は悪そのもの。悪は悪らしく──。


 結局、ツォンは、死を意識しながらも、タークスとしてエアリスと接することを選んだ。

「クソっ。エアリスを手放したのがケチのつきはじめだ」

 しかしエアリスは、そんなツォンのために涙を流した。単なる敵の一員としてではなく、子供の頃からの知り合いとして向き合った。思いがけない出来事に、ツォンは、死ぬのもそう悪くはないと考えたが、口から出た言葉は冗談めいた皮肉だった。

「まだ、死んでいない」

 エアリスが立ち去った後、ツォンは静かに死を待った。しかし、それはなかなか訪れなかった。意識が遠のくのを感じても、精神がライフストリームと混ざり合うような気配はなかった。

 ツォンを助けてくれたのはリーブだった。とてつもない能力でリーブが操作する、おかしなネコの人形──デブモーグリに乗っている──が目の前に現れたのだ。ケット・シーと呼ばれるこのネコの人形をエアリス一行に潜り込ませて動向を探ることが、社がリーブに課した任務だった。

「危ないところでしたなあ、ツォンさん」

「黒マテリアは?」

「──」

 答えはなかった。人形は固まったように止まっている。しかし、やがて、

「失礼。いま、一号と二号を同時に操作中で──ちょっと難しいんです」

「そうか」

 ツォンにはその難しさが理解できなかったが、リーブの邪魔をしないように、次の言葉を待った。

「黒マテリア、とりあえずクラウドたちに渡しますよ。セフィロスよりいいでしょう」

 クラウド。クラウドがこの一連の出来事に深く関わっていることは、不可解ななぞのひとつだったが、同時に、必然でもあるように思えた。クラウドこそがカギだ、とツォンは感じていたが、それがいったいどんな扉を開くのか、どれほど考えてもわからなかった。ともあれ、究極の黒魔法メテオの発動を阻止するためには、黒マテリアはクラウドが持っていた方がいい。

「黒マテリアはクラウドへ──了解」

「ツォンさんのことは──社に連絡しときます」

「──ああ」

「それから──わたし、もうスパイだってばれてますけど、このままクラウドたちといますから。なんだか、面白い連中なんです。興味深いって意味ですけどね。さて、ちょっと動かしますよ」

 幾つか聞き返したいことがあったが、大きなモーグリに抱きかかえられた時の激痛でツォンは気を失ってしまった。以降のツォンの記憶は断片的だった。

 三人の男たちに運ばれ、ツォンは船に乗せられた。男たちはかつての上司と部下だった。リーブはなぜ、社ではなく、この人に連絡したのだろう。それに、この三人はずっと連絡を取り合っていたのだろうか。疑問が次から次へと浮かんできたが、ツォンには言葉を発する気力はなかった。道中、ほとんどの時間を意識をなくしたまま過ごし、やがて狭い部屋で目覚めた。サビた鋼鉄と潮のにおいが混じり合った独特の空気を吸って、ジュノンに運ばれたことを知った。すぐに医師が現れ、本格的な治療が始まった。

*  *

 ツォンが現場を離れている間にエアリスは死に、黒マテリアはクラウドからセフィロスの手に渡っていた。セフィロスは黒マテリアを使い、究極の黒魔法メテオが発動された。

 メテオが星に激突し、全てを消し去るまであと三日とも七日とも言われていた。結果に違いはなかったかもしれないが、人々は予想せずにはいられなかった。

*  *

 ミッドガル零番街。神羅ビル近く──

 八番街に突貫工事で組み上げた鋼鉄の支柱の上に、ジュノンから空輸してきた砲台を無理矢理据えつけた危なっかしい巨大兵器。兵器開発担当のスカーレットによって「シスター・レイ」と名付けられたその大砲は、対セフィロスの最終兵器だった。ミッドガルで稼働している全てのこう炉と専用パイプラインで接続された「シスター・レイ」は、ヒュージ・マテリアで増幅された魔晄エネルギーをはるか北方の大空洞で眠るセフィロスに向けて撃ち込み、敵を文字通り消し去ってしまう威力を持つと期待されていた。セフィロスが消えてしまえば、空に浮かぶメテオ──セフィロスが黒マテリアを使って出現させた悪夢──も消えると考えられていた。

 星を破壊する脅威が無くなれば、ウェポンたちもどこかへ帰って行くだろう。


「理論的にはかんぺきだ」

 シスター・レイを見上げてルードが言う。

「理論的には? それ以外的にはどうなんだ?」

 レノがいつになくな口調で質問する。

「おれ的には不安が残る」

「安心したぞ、と」

「どういう意味だ?」

 今度はルードが問い返す。

「不安なのはオレだけかと思ってよ。これ、マジでいきなりぶっ放すのか? 試射っていらねえの? ミッドガルは大丈夫なのか?」

「おれが大丈夫だと言ったら安心か?」

 レノの矢継ぎ早に放たれた質問に、ルードはドスの効いた声で答える。

「怒るなよ、と」


 結局、シスター・レイは期待された働きをすることなく、巨大なスクラップと化した。同時に、ウェポンの攻撃を受けた神羅ビルの役員フロアが破壊されてしまった。タークスの一員であるレノとルードは、仕事柄、破壊された建物は見慣れていた。しかし、神羅ビルとなると話は別だった。外での仕事が多く、オフィスで働くことなどほとんどない二人にとって、任務が終わった時に帰る本社ビルは、我が家のようなものだった。仲間たちのねぎらいや上司からのしっせき、暇な時に女子社員をからかったり、からかわれたり。外にいる時が「ON」だとすればオフィスは「OFF」。普通の社員とは逆だったが、それだけに、二人の神羅ビルへの思い入れは強かった。

 レノとルードの動揺は、社長のルーファウスが行方不明だという情報でさらに大きくなった。

 ウェポンの放ったエネルギー波が社長室を直撃した様子は多くの者が目撃していたので、その情報は、単に社長の行方が分からないという以上の意味を持っていた。加えて、多くの役員、幹部社員たちの安否も確認できず、神羅カンパニーの指揮系統は混乱した。メテオが星に衝突するまで、あと数日と予想されていたこともあり、職場を放棄した者も多かった。

 レノとルードは、ルーファウスのあんを確認すべく、社長室まで行こうとエレベーターを待っていた。役員フロアへ直行するエレベーターは動いていなかったので、一般社員用を乗り継ぐしかなかった。

「動いてねえぞ、これ」

「非常停止装置が働いたようだ」

「よくできてるぜ、まったくよ」

「レノ、ルード。階段へ回れ」

 突然声をかけられた二人は顔を見合わせてから、声の主を捜した。やがて、長髪の見慣れた、しかしここにいるはずのない男の姿を見つけた。

「主任!」

 ツォンが死んだという報告は何日も前に受けていた。後輩のイリーナはツォンのかたきちを主張して、クラウドを遙か北の地まで追いかけていったくらいだ。しかし、失敗して悪態をつきながらミッドガルへ戻り、ふくしゅう復讐とじゅもんのように呟いていたのを二人は覚えていた。つまり、タークスの誰もが主任は死んだものと思っていた。

「どうした?」

 ぜんとした表情のレノたちを見てツォンが言った。

「主任、生きてたのか」

「この通りだ。しかし、事の次第を報告している時間はない」

「ああ」

 レノは説明などいらないと、何度もうなずいた。

「主任!」

 突然、若い女の声が聞こえた。三人が声の方を振り返るとそこにはイリーナが立っていた。その、一番若いタークスは、死んだと思っていた上司と再会できた喜びを一切隠そうとしなかった。イリーナはツォンに駆け寄るといきなり抱きついた。

「イリーナ、おれだって、そうしたいぞ、と」

まんすることないですよ、先輩」

えんりょしておこう」

 ツォンはイリーナの肩を掴んで押し返すと、三人の部下を見てうなずいた。

「──さあ、仕事だ」



 暗闇──

 ウェポンからの攻撃を受けた直後、ルーファウス神羅は暗闇の中を笑いながら滑り落ちていた。


 この星にそんなものが眠っていたと考えるだけでもおぞましいモンスター、ウェポンの攻撃が社長室付近を襲ったとき、ルーファウスは爆風になぎ倒されて床にたたきつけられた。続いてビル自体が爆発を起こし、天井を構成していた鋼鉄製の部材が落ちてきて、ルーファウスの頭のすぐ横の床に突き刺さった。さらに続くであろう落下物を避けるために、身体を回転させてデスクの下に隠れようとした。ウェポンの攻撃がまっすぐ自分へ向かってくる様子を見ていた時は、確かに死への覚悟を決めていたはずだった。しかし、爆風になぎ倒された瞬間、怒りが込み上げてきた。死を受け入れた自分への怒りだった。あれは何だったのか。なぜ死んでもいいと思ったのか。怒りがルーファウスを冷静にした。ウェポンの次の攻撃が来るかもしれない。それまでに早くここから脱出しなくては。

 デスクの下に転がって退路を探していたルーファウスの目に飛び込んで来たのはLと印された小さなスイッチだった。

 それはデスクの裏に隠すように取り付けられていた。こんなところにあるからには、何か非常用の装置にちがいない。例えば今この瞬間の役に立つような。ルーファウスはちゅうちょなくスイッチを押した。床の、ルーファウスが背にしている部分が、ガタンと音を立てて消えた。支えを失ったルーファウスはそのままの姿勢で一メートルほど落下した。固い床に身体が当たる衝撃と同時に、床が傾くのを感じた。そしてルーファウスは滑り落ちた。結局、おれは死ぬのかと思った。しかも、どうやら、床や壁の間を走り回る空調用ダクトの中で死ぬらしい。こっけいにもほどがある。自分の死体が発見された時、皆はどう思うだろうか。星の存亡をけた戦いの真っ最中に、唯一敵と戦えるだけの戦力を持つ神羅カンパニーの社長が死亡。しかも、空調ダクトの中で。ふむ。笑える。その様子を自分で見られないのは残念だが。それにしてもこのダクトは何だ。こんなに急な角度で取り付ける必要があったのか。そもそもあのLのスイッチは──そこでルーファウスは二十年近く前の、父との会話を思い出した。やがて、声をあげて笑い出した。


 五歳の頃だった。深夜に目が覚めてしまったルーファウスは、珍しく父親が帰宅していることに気がついた。早く寝ろとしかられるのを覚悟して部屋に入ると、意外にも父親は上機嫌で、できたばかりだという図面を見せてくれた。近く改装する予定の神羅ビル最上階フロア、社長室の図面だった。

「どうだ。この部屋から世界中に命令を出せるんだぞ」

「すごいね」

 ルーファウスは感心したふりをしながら、図面から何かを読み取ろうと努力した。おまえは賢いな、と言ってもらえそうなことはないかと。しかし、何も得ることができず、ただ思いついたことを口にした。

「父さん。どこからダッシュツするの?」

 ルーファウスの言葉の意味を父親は理解できなかった。

「ダッシュツって、なんだ?」

「敵が攻めてきたら、ダッシュツしなくちゃ」

「ああ──」

 息子の意図を理解した父親は続けて言った。

「神羅カンパニーには敵なんかいない。仮にいたとしても、社長室はビルの七十階だ。誰も攻撃なんかしてこないさ」

「敵は宇宙から来るってパルマーさんが言ってたよ」

「パルマーが?」

 父親のけんに深いシワが刻まれた。怒りのサインだった。宇宙開発担当のパルマーは後で父さんに怒られるかもしれない。でも、パルマーは、怒られるのが自分の仕事だと言っていたから大丈夫。ぼくが怒られるんじゃなければなんでもいい。しかし、同時に、自分が父親の機嫌をそこねてしまったことも感じていた。

「父さん、ごめんね。ぼく、眠くなったよ」

「なあ、ルーファウス。おまえの言うとおりに──」プレジデント神羅は息子の言葉を無視して続けた。「敵の攻撃に備えて脱出用の設備を作ることにしよう。でもな、ルーファウス。父さんはそんなものは使わないぞ。いつかおまえが社長になった時用だ。いや、もちろん、おまえが社長になれるとは限らないけどな」

「父さん──」

「ふん。脱出だと?」

「父さん、ごめん」

「なぜ謝る? 自分の意見が間違いだと認めるのか?」

「うん」

「簡単なやつだな!」

 もうルーファウスは逃げ出すこと以外考えられなかった。

「脱出に使うモノには、わかりやすいようにマークをつけておいてやるぞ。Lだ。覚えておけ。LoserのLだ」


 ともあれ、ルーファウスは感謝した。五歳の時の自分に。


 破壊された社長室から地上フロアへと続く脱出用シューターは果てしなく長く、人生を回想するには十分な時間があった。忘れていたさいな出来事の記憶が次から次へとよみがえった。そのほとんど全てに父親が登場することに気づいた時、ルーファウスは、自分もただの男──男の子だったことを思い知らされた。父親に認められたい、超えたいと願うが、感情表現の方法は反抗的な態度しか知らず、その結果、父親から得られるのは叱責か黙殺ばかり。そんなありきたりの図式に自分がピタリと当てはまるという事実は、これまでに聞いたどんな冗談よりもおかしかった。ルーファウスは暗闇の中、誰はばかることなく笑った。


 脱出用シューターは唐突に終わり、ルーファウスは白い壁で囲まれた明るい部屋に勢いよく滑り出た。勢いあまって、それほど広くないその部屋の、シューター出口とは反対側の壁に激突して止まった。

「ヒッ!」

 自分が発した情けない声がおかしく、ルーファウスはまた笑った。ろっこつが数本折れているらしいことに気づいたが、それでも笑うのをやめなかった。壁に激突した時の、けっして人には見せられない屈辱的な体勢のままでルーファウスは笑い続けた。しかし、やがて折れた骨が、そろそろ現実に戻れと告げた。

 痛みが少ない楽な姿勢を苦労して見つけ出したルーファウスは、床に転がったまま、視線を巡らせて部屋の様子を確認した。白い壁の、約五メートル四方の部屋だった。シューターの出口と並んで、質素な、病院を思わせるベッドが置かれていた。リネン類は、高級ではあるが、長い間使われないまま放置されていたのは明白だった。その壁に向かって右側は全面がクローゼットになっていた。左側の壁には鋼鉄製と思われる扉があった。ルーファウスは痛みに耐えながらにじり寄って、床に倒れたまま構造を確認した。取っ手やドアノブはなかった。小さなパネルがあり、そこを操作して開閉する仕組みになっているようだった。おそらく何けたかの数字からなるパスキーを入力する必要がある。しかし、ルーファウスにはパスキーの心当たりがなく、試行錯誤をする集中力も、今はなさそうだった。扉を開くことを早々にあきらめ、次に反対側のクローゼットまであおけのまま足だけを動かして移動した。

 誰にも見せられない姿だと思った。クローゼットの扉は簡単に開いた。中には、びっしりと神羅製の無菌保存ボックスが入っていた。一番下の棚──そこにしか手が届かなかった──からボックスを引っ張り出した。ふたにはFor Lと刻印されていた。

「ふん」

 その刻印を見てルーファウスは鼻で笑った。やがて、また、腹の底から込み上げる笑いを抑えることができなくなった。しかし、笑うと肋骨が痛む。なんとか笑いをかみ殺しながらボックスの蓋を開いた。予想通りポーションや化学合成薬が入っていた。劣化して毒性物質に変わっている可能性のある魔法系のものは避けて、合成系の鎮痛剤を口にほうり込むと、ルーファウスは全身の力を抜いて薬の効果を待った。視線の先、天井には大きくLの文字が記されていた。

「これ以上笑わせるな、オヤジ」


 鎮痛剤のりすぎでもうろうとしたまま時間が過ぎていた。シェルターで薬物の力を借りて過ごす時間は思いの他、快適だった。しかし、同時に、この大事な時に陣頭に立てないいらちも感じていた。やがてルーファウスは、扉の操作パネルの横に、壁を支えに立ち、幾つかのパスキーを入力した。しかしそれは空しい試みに終わった。集中力が続かず、パスキーに本気で取り組めないのは薬のせいだったが、その薬を口に放り込んだのもまた自分だった。


 レノとルードは破壊された社長室にいた。

「誰もいねえぞ、と」

「ああ」

「三回は確認したよな?」

「くまなく」

「つまり。生きてる」

「でも、どこにいる?」

 床には天井から落ちてきたらしい数本の鉄骨があった。鉄骨の下にルーファウスがいないことは注意深く調べて確認していた。

「あとは──どこだ?」


 メテオ接近の影響で、嵐が吹き荒れていた。タークスたちは迫り来るメテオを無視して、ルーファウスの捜索を続けていた。救護隊が駆け回っていたが、ルーファウスが見つかったという情報はなかった。

 レノとルードは神羅ビル一階エントランスの奥から目立たない扉を通って、半地下になっている幹部専用兼非常用のエントランスを調べていた。ビルを建てた先代の社長、プレジデント神羅の趣味からすれば、とても質素なつくりだった。単に、重厚な構造の出入り口があるだけの、飾り気のない一画。天井、壁、床、全てに、むき出しの鋼鉄の板が張り付けられていた。

「何もないぞ、と。行こうぜ、ルード」

「待て」

 ルードはレノを制して、壁の一部を指さした。

「色が違う」


 ルーファウスは操作パネルの横に立ち、0から9の数字が記されたキーを見つめていた。全ての数字の組み合わせを試せばいい、と頭の中では理解していた。しかし、それは現実的ではない。試行錯誤の途中で気が狂ってしまうだろう。何か効率的な方法を考える必要がある。パスキーは具体的な意味のある数字かもしれない。しかし、ルーファウスにとって意味のある数字は、パスキーの設定を命じた父にとっては無意味だと思われた。すでに試した、数少ない共通の意味を持つ数字──例えば母親の誕生日、死んだ日──も扉のロックを解除できなかった。

 この部屋に来てからどれほど時間が過ぎたのか判然としなかった。しかし、まだ生きているということは、メテオが空にあることを意味する。つまり、シスター・レイは予定通りの戦果を挙げず、セフィロスはまだ北の大空洞にいる。とすれば、遅かれ早かれ、メテオによる死がやってくるはずだった。

 ルーファウスは死に思いをせる。自分の精神は星を巡るライフストリームに溶けていくのだろう。その中には、例えば父の意識もあるのだろうか。父親の意識に語りかける自分の姿を想像したが、うまく思い描くことはできなかった。意識の姿とはどんなものだ? いや、星を巡る膨大なエネルギーの圧倒的な奔流の中で、ひとりの人間の意識など、すぐに拡散してしまうのだろう。

「ああ、そうか」

 星が無くなってしまうという大前提がすっぽり抜けていたことに気づき、ルーファウスは笑った。やがて白いスーツのポケットに手を入れ、鎮痛剤の瓶を取り出した。錠剤を三錠口に放り込んで噛み砕くと、改めて操作パネルを見つめる。

「ふん」

 死は避けられないとしても、この部屋で死ぬのは、やはり嫌だと思った。ルーファウスは、操作パネルの存在に気づいた時から頭に浮かんではいたが、試さずにいた数字の組み合わせを入力した。その数字に期待することは、父親に対して、敗北を認めるようなものだと思っていた。しかし、意地を張っている場合ではなかった。


 レノとルードは一区画だけ色の違う鋼鉄のパネルを調べていた。

「ただの壁だぞ、と」

 レノの言葉が終わらないうちに、壁が小さく震えた。ほどなく、他とは色が違う、幅一メートルほどのパネルが床に吸い込まれるように下がり、消えていった。レノとルードは顔を見合わせてから、パネルが消えた後の壁に開いた穴に駆け寄る。穴の奥には白い壁が見えた。小さな部屋のようだった。

「お邪魔さま、と」

 レノが部屋の中をのぞき込もうとした時、ルーファウスが壁の横から顔を出す。

「ごくろう」

 神羅カンパニーの若きトップはそれだけ言うと、その場に倒れ込んだ。

「社長!」

 ルーファウスを介抱しようとするレノの横を通ってルードは白い部屋の中に入った。すぐにそこがシェルターだとわかった。

 室内をザッと見回す。扉の横に操作パネルがあり、四桁の数字が点滅して、やがて消えた。ルードは知らなかったが、その数字は、先代の社長が使う可能性のある装置には習慣的に初期設定されるパスキーだった。先代がけっして忘れないであろう数字の組み合わせ、息子の誕生日。

「ルード、医者を捜してきてくれ。ついでに外の様子も」

「社長は?」

「ぐっすり眠ってる」

 レノが言うとおり、社長は穏やかな寝息を立てていた。

「おれたちに会えて、ホッとしたんだぞ」

 レノは冗談めかして言おうとしたが、それは失敗した。

「本当に良かった」

 ルードは真面目に返すと、外へ出た。


 ルードは雨と強い風が吹き付ける夜の闇の中に立っていた。神羅ビルの裏口だった。ビルからはがれ落ちたと思われる外壁プレートや建材が散乱していた。救護隊の活動を助ける、地上に設置された投光機と、上空のヘリからのサーチライトに、割れたガラスの破片がキラキラと輝いていた。ルードはその様子を落ち着いて眺めることができた。ルーファウスが生きていたという事実はルードを勇気づけた。ルーファウスこそが神羅カンパニー。良くも悪くも神羅は続く。神羅が存続するのであればタークスもまた続く。タークス以外の人生を考えることは苦痛だった。

 低空に降りてきたヘリが巻き起こした風が、握りこぶしほどの大きさの木片を吹き飛ばし、それがルードのほおをかすめてどこかへ飛んでいった。ルードはニヤリと笑う。ルードはスリルを愛していた。それをまたルーファウスが保証してくれるのだ。

 足下に注意しながら、ビルの正面へ向かった。そこかしこにうずくまっている人々がいた。れきから飛び出した手や足もあった。生死が判然としない相手には声をかけてみた。生きている者の多くは、ルードの姿を見て、おびえた表情を見せた。スキンヘッドにサングラスのルードは常に暴力の臭いを放っている。普段と変わらないその反応にルードは満足した。

 忙しげに動き回る救護隊は、神羅の出資によって作られた病院のスタッフたちだった。ルードはその中の一人を捕まえて、人の居場所を説明した。反応が予想できなかったのでルーファウスの名はせておいた。

「神羅の人ですか?」

「ああ」

「だったら、最優先ですね」

「たのむ」

 相手はうなずくと担架を持った仲間に声をかけて、ビルの裏手の方へ回っていった。その後ろ姿を見送りながらルードは、案内すべきだったと思い直し、後を追おうとした。その時、無線機に向かって話している若い女の姿が目に入った。

 クラウドの仲間、ユフィという名の娘だ。神羅カンパニーとは敵対するグループの一員だが、今は奴らと戦う必要はない。戦うのは、指示があった時か、こちらの作戦を邪魔してきた時だけだ。

 ルードは、素早く物陰に隠れ、そのヒョコヒョコ動く、落ち着かない姿を見ていた。


「どこへ運ぶんだ?」

 救護隊員がルーファウスを担架に乗せるのを手伝いながら、レノは聞いた。

「とりあえず病院へ。でも、その後は未定です」

「未定? なんで?」

「なんでって──メテオが来るからですよ。星が無くなるかもしれないって時に、どこへ行くんですか」

「そりゃ、ごもっとも。さ、こっちだ」

 レノは救護隊を先導して、正面エントランスホールへ続く小さな扉を通った。

「ああ、こんなふうになってるんですね。スキンヘッドの人、教えてくれなかったな。近道なのに」

「幹部専用の秘密通路だ。誰にも言うなよ、と」

「──はい」

 レノは素直な返事に満足してうなずき、正面扉へ向かった。そのまま扉から外へ出ようとして、ユフィの後ろ姿に気づき、足を止める。

「おまえらに、まかせていいか? ちょっと面倒な奴がいる」

 振り返って救護隊員に言うと──

「もちろん、まかせてください。ところで、この患者の名前は?」

「目を覚ましたら本人が言うだろうよ。なるべくいい病室に入れといてくれ」

「もしかして──ルーファウス神羅?」

 担架の後方を担当していた救護隊員が呟いた。

「シッ!」


 後に「運命の日」、あるいは、単に「あの日」と呼ばれるようになる、奇跡の瞬間をルーファウスはミッドガルにほど近いカームの町で体験した。怪我人でごった返すミッドガルの病院では、ルーファウスの身の安全を確保するのは簡単な事ではなかった。意識を取り戻したルーファウスにレノが進言し、カームに神羅カンパニーが持っていた小さな家で落ち着くことになった。移動にはヘリを使えたので、もっと遠くへ行くことも可能だったが、ルーファウスはカームを指定した。部下の進言を尊重して移動には同意したが、星が破壊されるという時に逃げ回ることは美学に反する。


 手を伸ばせば触れることができるのではないか──そう思えるほどにメテオは接近していた。そんな非現実的な風景に背を向けて、タークスの四人はミッドガルを駆け巡っていた。ルーファウスの安全──メテオの衝突を目前にして、気休めにもならなかったが──を確保したタークスが選んだのは、最後の瞬間まで仕事を続けることだった。

「メテオが衝突した後の事を考えても意味が無い。ギリギリでかいされることを想定して我々は動く」

 そう言ってからツォンが部下に指示したのは、ミッドガル住民の救助となんゆうどうだった。すでにメテオ接近の影響は街のいたるところに出ていた。いよいよ強くなった嵐と、時折起こるミッドガル全体の震動が、建物の倒壊を引き起こしていた。想定外の出来事に鋼鉄の都市は悲鳴を上げていた。

「最後の任務が善行とは、主任らしい」

 ルードがぽつりと呟いた。

「なんでだよ、と」

「罪滅ぼしになる」

「なーるほど」


 やがて、元主任のヴェルドと当時の同僚たちがミッドガルに集まってきた時、これはメテオが見せた夢のようだとレノは思った。

 かつて、タークスは、社の利益に反する活動をしたことがあった。世界を救い、同時に、事件の中心にいたヴェルドとその娘を助けるためにとった行動だった。あれほどタークスが強く結束したことはなかったかもしれないと、レノは思い起こす。進退きわまっているミッドガルの住民たちを助けながら、レノはほおが緩むのを意識せずにはいられなかった。

 事件の後、プレジデント神羅と幹部たちが、タークスの解散とまっさつ──解雇ではなく文字通りの抹殺──を決定した時、その苦境からタークスを救ったのが当時副社長だったルーファウスだった。言わば恩人のルーファウスの、とりあえずとはいえ、安全を確保し、二度と会うことはないと覚悟して別れた仲間たちとの再会を果たし、レノは、もう思い残すことはないとさえ思った。

*  *

 メテオはミッドガル直上で破壊され、星の危機は回避された。それを成し遂げたのは星から噴出したライフストリームの力だった。究極の黒魔法メテオに、同じく究極の白魔法ホーリーが勝利した瞬間であり、人知れず戦ったクラウドたちの功績も大きかったが、人々は、星自身が自分を守ったのだと理解した。


 レノとルードはその瞬間を、仲間たちと離れ、メテオ直下の神羅ビルで迎えていた。

「なんでこのタイミングなんだよ、と」

 打ちつけるライフストリームの影響で、ビルは激しく揺れていた。そこかしこの窓から入り込んだライフストリームは光のモンスターのように、ビルの中を破壊して回った。二人は安全な場所──トイレの個室に逃げ込んで壁越しに話していた。

「おれのせいだ」

「なにが?」

「おれが道具箱を取りに来たから──」

 ルードが申し訳なさそうに言った。

「いいって。今さら気にすんなよ、と」

 レノの様子がいつもと違うことに気づいたルードは黙り込む。やがて──

「ルード?」

 沈黙に耐えられなくなったのか、レノが呼びかけた。

「なんだ?」

「長い付き合いだよな、おれたち」

「そうだな」

「相棒って感じか?」

「ああ」

「ようよう相棒」

 レノの声になぜかいつもの調子が戻ってきたのをルードは感じた。続いて、ドアが開きレノが個室の外に出た気配がした。そしてすぐに、ルードの個室のドアが破られた。ルードは内側に倒れてきたドアを受け止めて、それを蹴り返した。

「何をする!」

「相棒に、最後のプレゼントだぞ、と」

「ドアが?」

「スリル。あんたが好きなやつ」

「──足りないな」

 ルードは個室から出ながら答える。

「じゃあよ、外、出てみねえか? すげえぞ、きっと」

「祭りだな」


 勢いよく正面エントランスから飛び出した二人を迎えるように、ライフストリームが巻き起こす風が吹き付けた。続いてしなやかなむちのような光の束が二人の眼前をすり抜ける。

「うひゃー! 今の、ライフストリームだよな!」

「レノ」

「なんだ?」

「最高だ」


*  *


「ツォン、レノ、ルード、イリーナ」ライフストリームが吹き荒れた翌朝、ルーファウスはタークスの四人に言った。「これから、どうするつもりだ」

「クビにされたおぼえはないぞ、と」

 レノの言葉にツォンたちも同意してうなずく。

 ルーファウスがタークスに与えた指示はふたつ。ミッドガルへ行き、状況を把握せよ。そして、仲間を募れ。

「社員だから仲間とは限らない。わかるな」

「わかるぞ、と。でも、仲間を集めてどうするんだ? 何をする?」

「今はとにかく情報が欲しい。少しでも多く」

 肋骨の他に右足のかかとも折れていることがわかり、さらにむち打ちも発覚したルーファウスは車いすの世話になっていたが、それでも威厳を失ってはいなかった。

「ツォン」

「はい」

「もう懲りたと思っていたが──」

「神羅にしかできないことはたくさんありますから」

 ツォンの言葉にルーファウスは満足そうにうなずいた。

「きっと楽しいぞ」


 ほとんど休まずにミッドガルへ戻ったタークスの四人は二手に分かれた。ツォンとイリーナは情報収集を担当し、レノとルードは仲間を捜した。昨夜集結した仲間たちは、すでに各地へ散り、ミッドガル以外の情報をカームに送るはずになっていた。


「アバランチの連中が言ってたよな。神羅は星の敵だってよ」

 レノが思い出したように言った。

「ああ」

「あれ、当たってたみてえだな」

「どうして」

「見ろよ──」

 レノが言うとおり、ライフストリームは星をメテオから守りはしたが、神羅の城とも言えるミッドガルには罰を与えていた。完全に破壊されたわけではなかったが修復は困難だろう。生かさず殺さず、まるで期限を定めない処刑。加えて、メテオから星を救ったのが神羅カンパニーではなかったことを知った人々は、神羅を敵視するようになっていた。この困難な状況の責任は誰かに押しつけなければ気が済まないとでも言うように、人々は神羅の名を口にした。

 二人は零番街の神羅ビル近くまで来ていた。そのあたりは特に被害が大きかったにもかかわらず、人が大勢集まっていた。皆、情報と、なんらかの援助を求めているようだった。

「笑えるぞ、と」

 近くにいた避難者たちの会話を聞いて、レノは吐き捨てるように言った。人々は、諸悪の根源は神羅カンパニーだと断定しつつ、その神羅が、この状況を改善するはずだと期待していた。

「あの口、靴下詰め込んでやりてえ」

「やれよ。止めないぞ」

「替えがないぞ、と」


 ツォンとイリーナはミッドガルの下層、六番街スラムのウォールマーケットにいた。そこは昔から、質はともかく情報が集まり易いエリアとしてタークスも時折利用していた。プレートや支柱から落ちてきた部材がそこかしこで無残な姿をさらしてはいたが、最初からそうだったと言われればそう思える──スラムとはそういう場所だった。以前と違うことと言えば、やはり人の数が減っていた。ミッドガルが倒壊するといううわさが広まり、それを信じた人々がプレートの傘の外に避難した結果だった。

 ここまで来る間に、ツォンたちも神羅カンパニーを非難する人々の声を聞いていた。タークスのスーツを見て、遠くから石を投げる者までいた。

「仕事、やりにくいですよね。着替えませんか?」


 最初に見つけた店で適当な服──ツォンはコスタ・デル・ソルのようなリゾートが似合いそうな派手なシャツ、イリーナは洒落じゃれたデザインのワンピース──に着替えてから、人が集まっていそうな居酒屋に入った。ほとんどのテーブルは客で埋まっていた。空いている席を見つけて向かい合って座った二人は、早速店内の観察を始める。ツォンは四人がけのテーブルを一人で占領している黒いシャツの男に目を止めた。

「寝てますね」

「そうだろうか──」

「ツォンさん?」

「なんだ」

「わたしがタークスに残ったのは、もちろん、タークスとしてのプライドもありますけど、でも、それより──」

 上司へのあこがれを隠したことがなかったイリーナだが、さすがに本人を前にしてそれを口にするのはためらわれた。

「しゃべり続けろ」

「え?」

「黙っているのは不自然だ。そういう無意味な話でいい。口を動かせ」

「無意味、ですか」

 イリーナはためいき混じりに言うと、ツォンの顔を見た。ツォンは店に入った時から気にしている、眠っているように見える男を見つめていた。

「おかしい」

 ツォンは立ち上がり、テーブルに突っ伏している男に近づき、声をかけた。

「大丈夫か?」

 しかし答えはない。肩に手をかけて、揺すろうとした。ツォンは手のひらにベタリとした感触を覚えた。慌てて手を引いて確認すると、手のひらに黒い粘液がついていた。ツォンは改めて男を観察する。シャツの色が黒いので気づかなかったが、男の上半身は粘液でれていた。

「どうしたんですか?」

 イリーナが近づいてきて聞いた。

「死んでいる」


 レノとルードは神羅ビルの正面エントランスホールにいた。人の身体ほどもある大きな広告パネルの裏にレノが文章を書いていた。

「逃げたい奴は、駅から線路の上を歩いて下へ降りろ。列車の運行予定は無し。復旧時期未定。ここには物資はない。神羅カンパニーは臨時休業中、と」


 カームの家は二階建てで、一階には打ち合わせに使えるリビングとダイニング、小さなキッチンと風呂、トイレがあった。二階には寝室が三部屋あり、ルーファウスはそのうちのひとつにいた。踵はギプスで固められていた。首と、胸から腹にかけてはコルセットで固定され、まだ車いすを使わずに移動することは難しかった。

 ルーファウスは窓から町の様子を見ていた。閉じたカーテンを少し引いてすきを作ると、人でごった返す通りが見えた。カームの町もライフストリームの被害を受けていたが、住めなくなるほど破壊された家はなかった。その家々を求めて、ミッドガルからの避難民が来ているらしく、人の数にルーファウスは圧倒された。物心ついてから、ルーファウスはこれほど多くの人々と、護衛や取り巻き無しで接することはなかった。民衆の不安、焦燥と壁一枚しか隔てていないという事実はルーファウスを落ち着かない気分にした。しかもその壁は神羅ビルの装甲にも似た分厚い壁ではなく、一般住宅の薄いそれだった。ツォンは護衛に誰か置いていくと言い張ったがルーファウスは断っていた。無用な意地を張ってしまったとルーファウスは苦笑いをする。やがて思い直す。神羅ビルはおやじが作ったようさいだった。言わば父の象徴。息子はいつか父親の家から出なくてはならない。そして自分の力でゼロから始める。普遍的な構図。自分にもその時が来たのだ。民衆を恐れている場合ではない。あそこに飛び込んで、成すべき事を成せ。成すべきこと──それは世界の復興以外にはありえない。

 ドアチャイムが鳴った。一回鳴ってから、間をおいて二回。無視しているとさらに二回鳴った。打ち合わせとは違う。関係者ではない。やがて乱暴にドアをこじ開けようとする音が聞こえて来た。厄介なことにならなければいいがとルーファウスはベッドに向かって車いすを進め、まくらの下から短銃を取り出した。その銃を持ったまま、反対の手でガウンのそでを伸ばし、銃を隠した。それから窓際の椅子をドアの方へ向け、車いすから、苦労して移った。

 ルードの腕は確かで、補強した玄関のドアはなかなか開かず、訪問者は諦めたようだった。しかしすぐに窓ガラスが割れる音がした。数人が室内に入って来たらしい。

「やれやれ」

 ルーファウスは銃の安全装置を外した。


 夕暮れ。ツォンとイリーナはカームへ向かって歩いていた。スラムで見た病気のことが主な話題だった。居酒屋で死んでいた男と同じ症状の者は相当数いるようだった。

「わたしが休んでいる間に何があったんだ?」

「ツォンさん、わたしもあんな病気、初めて見ました」

 つまり、あの症状──病気と言うにはまだ何もわかっていない──は今日になってから、突然ミッドガルで猛威を振るいだしたということか、とツォンは思う。今日と昨日の違いはなんだ? そう──ライフストリーム。ライフストリームは街を破壊しただけではなく、人間にも罰を与えたということだろうか。

「みんな冷静でいられるといいが」

「どうでしょうか」

 イリーナは、居酒屋で死んでいる男のことを、他の客が知った時に起こったパニックを思い出した。最初は皆うま根性で男を見ようとしたが、誰かが「うつるぞ」と言った後は、我先に逃げ出す者たちで、店は混乱した。


 ツォンたちに先行して、レノとルードは、まもなくカームというあたりを歩いていた。本当はヘリか車を使いたかったが、燃料が今後どうなるかわからないので、そうそう簡単に動かすわけにはいかなかった。

「明日は伍番街へ行くか」

「社宅行ってどうするんだ、と。ああ、社員が残ってるかもな」

「倉庫がある。車両と──武器を確保したい」

「武器ね。やっぱ、いるよな」

 レノはミッドガルの疲れ切った人々の姿と、その中でくすぶっているであろう不満を思って溜息をついた。


 ルーファウスは数人の男たちに囲まれていた。

「社長さん、大変な目に遭ったようで」

 リーダー格のひげづらの男が、ルーファウスに猟銃を突きつけて言った。

「ああ。しかし、今が一番恐ろしい。愚かな群衆ほど恐ろしいものはない」

 ルーファウスは相手の血走った目を見つめて言った。おれは恨みつらみを聞かされたあげくに殺されるのだと先の見通しを立てていた。隠し持った銃で一人、二人倒したところで、全員──寝室には三人、階下にも何人かいる気配がしていた──は無理だろう。

「おれたちは愚かだが、誰がこの責任を取るべきかくらいは知っている」

「ほう。しかし、聞かせてくれ。この家を出た後、どうする? 先のことは考えているのか?」

「どういう意味だ」

「二種類の人間がいる。指示する者と従う者。これは資質の問題で、優劣の問題ではない。往々にして、事が起こった場合、責任を取らされるのは指示する側の人間だ。その結果、残された者たちは指針を失い、混乱が起こる。そして停滞、だ」

「素直じゃないいのちいだな」

 相手はルーファウスにちょうしょうを浴びせる。

「おまえはここにいる何人かを率いているようだが、いつまでそれを続けるんだ? 彼らにどんな未来を見せることができる?」

「おれたちゃ愚かな群衆よ。今日を生き伸びることができればそれで満足だよ」

「おれたち、ではない。おまえの話だ」ルーファウスは部屋中の注目がこのリーダーに集まっているのを意識する。

「あんたには計画があると言うのか?」

 別の男が聞いてきた。ルーファウスはその男の顔を見る。三十代。比較的裕福な身なりをしている。高級そうな紺のジャケットを着崩した、締まった身体の男。

「もちろん。まず住居の確保。カームはミッドガルからの避難民を収容しきれない。あなたはこの町の住人だと思うが──」

「そうだ」

「この町がミッドガルみたいになってもかまわないか?」

「──」男が想像を巡らせているのがわかる。

「避難してくる人を助けるのは当然のことじゃねえか!」

 無視された、銃を持った男が割って入る。ルーファウスはすかさず答える。

「例えば、雨が降ったらどうする? 通りに溢れている者、続々とここへ逃げてくる者たちはどこへ? なるほど、誰もが善意で家を提供するかもしれない。しかし、ミッドガルの人口を考えてみろ。とてもじゃないが収容しきれない。彼らの不満、不安、おまえは全て受け止める覚悟があるのか? 今日生きのびることで満足だろうと彼らに言えるのか?」

「うるせえ!」

 男は怒鳴り声をあげる。ルーファウスは冷静に、見込み通りの男だと思う。軍の小隊長にしてやれば、立派な仕事をするだろう。しかし、中隊長は難しい。

「まあ、あんたの言うとおりかもしれない。それで社長、策は?」紺ジャケットの男がよく通る声で言った。この男が本当のリーダーなのかもしれないとルーファウスは思い直す。

「それを言うと、わたしの命はない」


 カームに到着すると、レノとルードはすぐに町の様子が朝とは一変していることに気がついた。

「すげえ人だぞ、と」

 その人通りは「家」の前の通りに出ても変わらなかった。そればかりか「家」に知らない人々が出入りしているのが見えた。

「社長!」

 家の前に駆けつけてもすぐに中に入ることはできなかった。開け放たれた玄関から中を覗くと、グッタリした男女が床に座ったり、ある者は寝転んだりしている。

「病気だ」

 ルードが言うとおり、二人がミッドガルで見てきたのと同じ症状──黒い液を包帯や衣服ににじませた──の人たちが大勢集まっていた。

「ルード、一階をたのむ」

 レノは患者たちを踏みつけないように注意しながら二階への階段を上る。しかし、二階も同じ状況だった。レノは戸惑いながらもルーファウスの姿を探したが見つけることはできなかった。諦めて階下へ戻るとルードがいた。

「いない」

「マジかよ、と。とにかく相棒、外出るぞ。ここにいるとおれたちまで──」

 レノは患者のひとりが自分をにらみ付けていることに気づき、愛想笑いで応じると、ルードを押し出すように外へ出た。

 そこへ丁度ツォンとイリーナが帰って来た。

「主任、家を乗っ取られたぞ」レノは手短に状況を説明した。

「とにかく、社長を捜そう。連れ去られたのかもしれない。事情を知っている者がいないか確認しなくてはな」

「家の中はわたしが行きます。先輩たち、すぐ脅しちゃいますからね」

 イリーナはそう言って中へ入ろうとした。

「イリーナ。病気には気をつけろよ、と」

「先輩。うつるなら、もう、うつってますよ」

 イリーナの言葉に、それもそうだとレノは納得した。

「さて」

 ツォンはレノとルードに命令を下した。

「目撃者を探そう」

 レノとルードは黙ってうなずくと町へ散っていった。


 しばらくして戻ってきた三人は、神羅への怒りと不満を散々聞かされてげんなりした顔でツォンに報告をした。誰も目撃者はいない。

「こんな状況だ。仕方がないのかもな」

 ツォンは、通りを運ばれていく自力で歩くことができない怪我人や病人を見やって言った。

「それに──」

 もし目撃者がいても、自分たちに語るものはいないのかもしれないとツォンは思った。


 カームの家から連れ出されてから二週間ほど過ぎたはずだと、ルーファウスは見当を付けていた。銃を奪われた後、薬をがされて、意識がないまま運ばれたために自分がどこにいるのかわからなかった。しかし、紺ジャケットの男──ミュッテンと名乗ったが、本名かどうかは怪しい──の別荘か何かだと考えていた。そしておそらく、ここは地下室だ。階上に大勢の人間がうごめく気配がする。その大勢が避難民だとすると、ここは別荘ではなく、カームなのかもしれない。しかし、同時にミュッテンの仲間たちが集っているとも考えられる。結論が出ない以上、タークスが自分を見つけ出すまで辛抱した方がいい。それにしても、とルーファウスは自分が監禁されている異様な部屋を見て思う。真っ赤な内装。豪華ではあるが、悪趣味な装飾──身体の一部がモンスター化した男女の姿──が施された家具。そして自分の足にはめられた足かせ。足かせには重い鎖がつなげられ、その先は壁に作り付けの頑丈そうなフックに固定されていた。このような、人を監禁するための部屋を持っているミュッテンの人物像を想像してルーファウスは悪寒を覚えた。そして、ただでさえ怪我で動けない自分を鎖で繋ぐ用心深さは、ルーファウスを不安にさせた。

 行動の自由を奪った以外、ミュッテンはルーファウスを客人としてもてなすことに決めているようだった。この家に住み込んでいるらしい中年の女が食事をふくめた看護を丁寧にしてくれた。何を聞かれても答えないように命じられているらしく、話しかけても反応はなかった。

 初老の医者が一度、様子を見に来た。医者は通り一遍の診察を終えると、薬を置いて帰っていった。監禁されている患者が神羅カンパニーの社長であることに気づいたのかどうか、伺い知ることはできなかった。人の出入りのタイミングをねらって階上に聞こえるような声をあげることも考えたが、その後のことは想像がつかなかった。

 数日に一度、ミュッテンが現れた。ミュッテンはルーファウスからミッドガル周辺の開発計画を聞き出そうとした。タークスが収集してくるであろう情報を元に計画を練ろうと思っていたが、連絡を取ることなど許されるはずもない。ルーファウスは情報不足を理由に、計画を小出しにしてミュッテンに聞かせた。まず、ミッドガルの東側に街を作る。東側が最も平坦で、作業が容易になるだろう。また、街作りのための資材はミッドガルにある廃材を活用する。切断や溶接に使う工具や小型の工作機械なら伍番街の倉庫にあるのでそれを使えばよい。

 これは駆け引きだと思っていた。相手が自分から全てを聞き出したと思った時点で、自分の命は無い。おれは夜な夜な新しい話をしないと王に殺される吟遊詩人のようだと思い、ルーファウスは苦笑いをする。

「全部話したらどうだ? 殺しはしないさ」

「では足かせをはずしてくれ。逃げはしないさ」

 互いに信頼しあえる日は永遠に来ないとルーファウスは思っていた。


 情報はあるにはあったが、調べてみるといい加減な内容で、社長の行方は分からなかった。

 ツォンはしかし、ルーファウスを探すことを諦めなかった。避難民に占拠されたカームの家は捨て、ミッドガル伍番街の社宅を一軒、自分たちのオフィス代わりに使っていた。イリーナの発案で、ミッドガルが倒壊するかもしれないという噂を積極的に流した。多くの人々は噂を信じてミッドガルから出て行った。もし噂がなくても、ミッドガルは瓦礫と病気のそうくつになり、遠からず無人になると思われたが、ツォンたちとしては、可能な限り早い時期に、ミッドガルを無人にしたかった。ミッドガルには神羅の秘密が数多くあり、特に各種兵器が民衆の手に渡ることは避けたかった。

「やばいぞ、と」

 その情報を持ってきたのはレノだった。

「ジュノンに残っていた軍が来て、本社を占拠した。兵士は百人くらいだと思う。率いているのは、軍の将校で、ナントカゲイトって奴だ」

「目的は?」

「知らねえけど、なんか、集会を開く準備をしているみたいだ」

 こうしてツォンとイリーナは本社ビルの様子を探りに出かけ、レノとルードは、いよいよ本格的に武器の確保に乗り出した。


 伍番街は神羅の社宅が多く建ち並ぶ場所だが、魔晄炉周辺は許可を受けた者しか入ることができない倉庫街になっていた。周囲には高い塀が巡らされ、入り口は一カ所。大きく、頑丈な門があり、そこはパスキーが無ければ開くことはできない。しかも非常時には一定の地位以上の者しか知ることができない、非常用のパスキーに自動的に切り替わることになっていた。レノとルードはツォンから聞いたパスキーをブツブツと呟きながら、倉庫街の門へやって来た。しかし門はすでに開いていた。

「軍の奴らか?」

「ありえる」

 二人は用心しながら、武器が納められている八番倉庫へ向かった。途中、四番倉庫の搬出口が開いているのが見えた。レノとルードは物陰に身を隠し状況を探った。

「おいおい、あれ、一般人だよな」

 出入りする人間は老若男女、入り交じっていた。子供までいる。

「四番倉庫は──工作機械用だ」

 ルードが言った通り、倉庫から、様々な小、中型工作機械が運び出されていた。子供たちはドリルなどの工具を持ち出している。

「何をするつもりだ」

 レノがそう呟くのと同時に、五番倉庫の前から歓声が聞こえてきた。どうやら扉を開いたらしい。

「まずいぞ、レノ。五番倉庫は燃料の備蓄用だ」

「魔晄?」

「いや、軽油、ガソリン、非常用に作っていた。おれたちにも必要なものだ」

「やれやれだぞ、と」

 レノとルードはなるべく穏便に事を済ませたいと思っていたので、五番倉庫の前に立ったときも声を荒げたりしなかった。

「神羅カンパニーの者だぞ、と──責任者はいるかな?」

「はい、わたしです」

 姿を現したのは、若く、目鼻立ちの整った女だった。まだ少女と言ってもいい。

「お?」レノは言葉に詰まる。

「ここで何をしている」

 ルードが低い声で聞くと、相手の顔に不安の色がよぎる。

「はい、街作りに必要な機材をここから持ってくるようにと──」

「誰に言われた?」

「軍のカイルゲイトさんです」

「門と倉庫のパスキーも、そのカイルゲイトから聞いたのか?」

「はい、そうです。あの、ダメなんでしょうか? わたしたち、神羅軍が会社から独立して街の復興を始めると聞いて、ボランティアで参加したんです」

 不安げな若い女の視線を浴びて、レノとルードは顔を見合わせた。軍の意図は気になるが、この女たちは、純粋なボランティアに見えた。

「ま、この手のものなら問題ないぞ、と」

 レノはルードが軽くうなずくのを確認してから言った。すかさず、ルードが付け加える。

「しかし、燃料はとりあえず必要な分だけにしてくれ。節約命」

「はい」

 女は作業に戻っていった。レノとルードはボランティアたちが作業を終えて立ち去るまでずっと眺めていた。最後の一人が小型の発電機を台車に乗せて門から出ていくのを見送った。ボランティアたちは明るく、二人に礼を言って去っていった。

「ミッドガルの未来は明るいぞ、と」

「そうも言ってられない。さあ、やるぞ」

「何を?」

「おれたちの車両と武器、燃料を確保する。それから、パスキーを全部変える。門と倉庫、全部だ」

 深夜になってから様子を見に来たツォンとイリーナが作業に加わったが、全てを終えるのに、翌朝までかかった。家に戻った四人は仮眠を取ることに決めたが、昼にならないうちに前触れもなく訪ねてきたヴェルドに起こされた。

「死んだオヤジに起こされるより驚いたぞ、と」

「タークスともあろう者がこんな時間まで寝ている方が驚きだ」

「また会えてうれしいって意味だ」

「──」ヴェルドはレノの笑顔に沈黙で答えると、ジュノンのカイルゲイト中尉に関する報告を始めた。「中尉は休暇中だったが、部下の兵士たちをミッドガルへ呼び寄せた。そして今朝、ミッドガルの東側で集会を開き、そこで演説をぶった。この地に新しい街を作るという内容だ。神羅のものと思われる機材が用意されていたが──」

「ヴェルド──さん」ツォンは、かつての上司をどう呼べばいいのか迷いながら言った。

「その情報は我々が入手した情報とも合致します。しかし、教えてください。あなたはどういう立場で我々にその情報をくれるのですか?」

 レノとルードは顔を見合わせる。ツォンの質問の意図がわからなかった。ヴェルドはタークスの育ての親と言ってもいい。

「理由か──」ヴェルドが目を細めて言った。「しょくざい、あるいは恩返しではどうだ?」

「──情報はありがたく頂きます。しかし、贖罪も恩返しも必要はありません」

「なんだよ」レノが声を荒げて割り込んだ。「情報の理由とか、贖罪とかなんとかよ。どうでもいいじゃねえかよ。おれはもっと単純に──」

「単純に、なんだ?」

 ツォンが先をうながすが、レノは黙り込んだままだった。その様子を見てヴェルドが言う。

「レノ。おまえたちタークスは、わたしの──」

 ヴェルドも最後まで言わずに言葉を呑み込んでしまい、部屋は沈黙に包まれた。しかし、やがてレノが少年のようにこくりとうなずいてから、口を開く。

「機材は、昨日、ボランティアの連中が倉庫から運んでいた」

 感情的になったことを恥じるかのように、いつになく事務的な口調だった。

「でも、中尉クラスはパスキーを知らないはずだ」

 ルードが疑問を口にする。

「ルード、それこそが鍵だ。中尉はここ最近、休暇でカームにいた。そして、知るはずのない非常用パスキーを知っていた。誰から聞いた? 社長はどこから姿を消した?」

 ヴェルドの言葉に一同は立ち上がる。ツォンはそれを制して、さらに聞いた。

「カイルゲイト中尉とはどんな男なのですか?」

 ヴェルドはカイルゲイト中尉に関する情報を共有すべく、答えた。裕福な家の生まれで、両親はともに亡く、現在のカイルゲイト家当主。本来なら軍に入る必要はない身分だが、神羅の敵を倒し、世界に平和をと、もっともらしい理由を述べて志願した。兵士としては有能だが、性格に問題があると評価されている。

「加虐。残酷。訓練でも実戦でも、やりすぎが目立った。兵士たちの間では、合法的にその欲求を満たすために軍に入ったという噂さえある」

「なるほど──では、社長の居場所の見当はつきますか?」

「──カーム。カイルゲイト屋敷」

 その言葉が終わらないうちに、レノ、ルード、イリーナの三人が部屋を出ようとした。しかし、レノが振り返り──

「他のタークスはどこだ? みんながいれば心強いぞ、と」

「世界中に散って情報を集めることになっている──が、今では皆、それぞれの人生を歩んでいる。メテオの下に集まったのは、わたしと同じ気持ちがあったからだろう。しかし、これからのことは誰にも無理強いはできない」

 ヴェルドの話を聞き終わったレノは不服そうな顔を見せたが、結局、黙って出ていった。

「あなたはこれからどうするおつもりですか?」

 部下たちを追って部屋を出ようとしたツォンが、ヴェルドに聞いた。

「わたしはまたジュノンへ。リーブが向かっているらしい」

「それは──気になりますね」

「ああ。リーブに限らず、今回ばかりは関係者の行動が読めない」

「タークスだけは別です。おそらく、あの夜、集まった者たちも。皆、あなたの教えに忠実だ」

「つまり──読めない連中だ」ヴェルドはツォンに近づいてドアの前からよけさせると、先に部屋を出てから言った。「社長を頼んだぞ」

 立ち去るヴェルドの後ろ姿を見つめながらツォンは呟いた。

「久しぶりに、見送って欲しかったのですが──」


 ミュッテン・カイルゲイトは身動きできないルーファウスを三発殴った。

「知らないことは答えようがない」

「新しいパスキーを教えろ!」

「誰かが変えたのだろう。わたしは非常用のパスキーしか──」

 ルーファウスが言い終えるのを待たず、またミュッテンは殴った。正しく、訓練された殴り方だった。

「なるほど、軍人か──」

「おれは何度もあんたの顔を見てるけどな。あんたにとっては、ただの兵士なんだろ?」

「──申し訳ない」

 ルーファウスは素直に謝った。しかし、同時に思う。この家がミュッテンの所有物だとすれば、かなりの資産家か名のある家の子息ということになる。その場合、出世が早いのが通例で、ミュッテンの年齢だとルーファウスが顔を認識する程度には上にいるはずだった。社としては禁じていたが、現場では往々にしてそういうことがおこる。つまり──ミュッテンには何か昇進を妨げる問題がある。この悪趣味な部屋がその象徴かもしれないとルーファウスは思った。

「あんたには手下がいるだろう?」

 ミュッテンは唐突に話題を変えた。手下という品のない言い方に、ミュッテンの浅い底が見えたとルーファウスは思う。

「どこにいる?」

「さあ。部下が留守の間にわたしはここへ運ばれた。つまり、我々は互いに居場所を知らない」

「なるほど」

 ミュッテンは納得して見せたが、それでもまたルーファウスを殴ろうとした。その時、誰かが部屋の戸をノックした。

「なんだ?」

「お客様がいらっしゃいました」

 世話係の女の声が答えた。

「客? 誰だ──まあ、いい。今行く」

 ミュッテンは部屋を出ようとしてルーファウスを振り返った。

「新しい街作りが今朝から始まった。おれの手下とボランティアも大勢集まった。ミッドガルの東に集まった群衆は、そりゃあ圧巻だったぞ。楽しみだなあ、社長。おれの街ができるんだ。あんたにも見せてやりたいが、まあ、仕方がない」

 後にエッジと呼ばれることになるその街を、ミュッテンが見ることはなかった。ルーファウスの部屋を出てしばらくしてから、男の怒声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。やがて銃声と世話係の女の悲鳴が聞こえた。続いて何かが燃える臭いと音、大勢の人間が逃げ惑う悲鳴と騒音がした。

 ルーファウスは座らされていた椅子から立ち上がろうとしたが、性急な動きに身体がついていかず、倒れ込んだ。肋骨が悲鳴を上げた。しかし、ルーファウスは冷静に周囲を見回す。ここが勝負所だと感じていた。部屋の外で叫ぶ野卑な声が聞こえる。

「社長! どこだ!」

 この声はカームの家で自分に銃を突きつけた男だとルーファウスは確信する。事情はわからないが、大方、仲間割れでもしたのだろう。いずれにせよ、自分を助けに来たわけではなさそうだ。さて、どうする? ベッドの下に隠れることができそうな空間を見つけ、転がってそこへ移動する。

「──」

 折れた骨が痛み、うめき声が出そうになるが、下唇を噛んでこらえた。次はどうする? 足かせに繋がった鎖に相手が気づけば、自分の居場所などすぐに知られてしまう。ルーファウスは仰向けになってベッドの底を見た。金属製のフックがあり、そこには──用途を想像するだけでもおぞましい──とげ付の鞭が何本か収納されていた。ルーファウスはその中の一本を手に取り、皮のバンデージが巻かれた柄を握った。

「社長!」

 ドアが乱暴に蹴破られ、男が入ってきた。ルーファウスの位置からは男のブーツしか見えない。男はベッドに近づいてくると、ルーファウスの足から伸びた鎖を見つけ、それを蹴り飛ばす。

「ふん、ベッドの下か」

 来い。もっと近くへ。ルーファウスが意図したとおり、男は用心しながらもベッドに近づいてくる。ほら、覗き込め。顔を出せ。

 しかし、ベッドの下に突き出されたのは、銀色に光る銃口だった。ルーファウスはとっに銃身を左手で握り、ベッドへ押しつける。

「何をしやがる!」

 銃声。左手の激痛。ルーファウスは銃身から手を放すと同時にベッドの下から男の方へ転がり出る。最早脇腹の痛みは感じない。転がった勢いで足のギブスを男のひざの下に叩き付ける。

「ぐえ」男は呻き声を上げて数歩下がる。ルーファウスは立ち上がると鞭を男めがけて振るった。鞭は男の腕を捕らえ、男は悲鳴をあげながら銃を落とす。銃は運良くルーファウスの近くに落ちてきた。素早く動いて、ルーファウスは銃を拾い上げ、男に向けた。

「勝負あったな」

 しかし、部屋の中に煙が入り込んでくる。

「ばか社長め! さあ、撃てよ。どうせおまえはもうすぐ火に巻かれて死ぬんだからな。その鎖、どうやって切る気だ?」

 今はこの男に動いてもらうしかない。ルーファウスはきっかけを探した。

「ミュッテンを殺したのか?」

「ああ、やってやったぜ。幼なじみのおれをないがしろにしやがって」

「なるほど。それはミュッテンの落ち度だな」

「おれを手なずけようなんて考えるなよ。コケにされたこと、忘れちゃいねえからな」

 因果応報か、とルーファウスは思う。この展開までは読み切れていなかった。その時、銃声が響き、男が倒れた。自分が無意識のうちに撃ったのかと銃を見た時、新たな客が部屋に入ってきた。


「社長〜!」

 カームの町外れにあったカイルゲイト屋敷の前庭はミッドガルからの避難民であふれかえっていた。台所から火が出て、屋敷が焼け落ちた直後に、タークスの四人は到着した。

「社長──」

 しょうすいしきった避難民の間でタークスは、ルーファウスの姿を探し求めていた。やがて情報が入る。

「燃えている屋敷の中から初老の男が、足と首をギプスで固めた白いスーツの男を運び出したそうです」

 イリーナが心配そうな顔で言った。

「社長だな」ツォンが言う。

「初老の男って、誰だよ」レノが疑問を口にする。

「聞き込みだ」とルード。

「主任、話があるぞ、と」レノが目を細めて言った。「もっとタークスらしいやり方でいいか? どうせ神羅はどうしようもないくらい嫌われてる」

「許可する。しかし、復興ボランティアには手を出すな」

「なぜ?」

「街を作る計画は、おそらく、社長のアイディアだ」

 それよりもほんの少し前。燃えるミュッテンの屋敷の地下で、初老の男がルーファウスに銃を突きつけながら言った。

「ルーファウス神羅さん。お加減は?」

 男は、一度ルーファウスを診察した医者だった。

「あまり良くはない」

「では、銃を捨てた方がいい。それはあなたをさらに良くない状態へと導く」

 互いに銃を持っている状況で医者が言ったその言葉は、ルーファウスを不安にさせた。

「ドクター。あなたが捨てるなら、わたしも手放そう」

 医者はニヤリと笑ってから、銃口を改めてルーファウスの顔へ向ける。引き金にかかった指に力が入るのがわかった。ルーファウスは素早く銃を構え、医者の胸を狙って引き金を引いた。カチリと空しい音がした。

「神羅さん、あんたはその銃の持ち主のことを知らない。あいつはミュッテンを恨んでいた。汚い仕事はすべて自分にやらせて、おいしいところは全部持っていくとな。だから恨みを晴らすために、銃弾をほとんど使ってしまった。最後の一発はこの部屋から聞こえたが──」

 ルーファウスは転がっている死体を見ながら溜息をついた。本当に後先のことを考えない奴だ。

「わたしはキルミスター。若い頃は神羅カンパニーで働いていた。まあ、ほうじょう博士の助手の、さらにそのまた下だったがね」

 宝条のスタッフ──いやな予感がした。

「さあ、銃を捨てて」

 ルーファウスは素直に従うしかないと諦め、銃をキルミスターの足下にほうった。するとキルミスターは内ポケットからガラスの小瓶を出して突き出す。

「これをひと嗅ぎして、少しの間、意識を無くしていて欲しい。もし従ってくれない場合は、あんたを撃つ。わたしはあんたの力を借りたいと思っているから、殺しはしないが──かなり痛い思いをすることになる」

 キルミスターはそう言って、小瓶をルーファウスに放った。それを受け取り、蓋を開くと臭いの記憶がよみがえった。カームの家でミュッテンに嗅がされた匂いだった。


 気がつくと、トラックの荷台に載せられていた。乗客はルーファウス以外に九人いた。若い男が五人。同世代の女が四人。みな、同じように膝を抱えてグッタリとしている。それ以外にも共通点があった。最初は、汚れているだけだと思っていたが、よく見ると身体の露出部分に黒い染みのようなものが浮き出している。頭髪の中からも同様の粘液らしきものがにじみ出ていた。時々聞こえる呻き声から、相当の苦痛を抱えていることがわかった。となりにいた若い女がバランスを崩してルーファウスに寄りかかってきた。

「ごめんなさい」

「気にするな」

「あなたは──病気じゃないのね」女は苦しげに言った。「うつしたら──ごめんね」

 ビルの最上階から滑り降りて骨を折り、その後は監禁と殴打、そして銃。今度は病気かと思うとルーファウスは苦笑いをするしかなかった。どんな病気であれ、これ以上は何も抱え込みたくないが、かと言って、このトラックの荷台ではどうしようもなかった。

 悪路にもかかわらず、キルミスターは暴走と言ってもいいほどのスピードを出していたので、トラックは跳ねるように走った。ルーファウスはトラックから飛び降りるというアイディアについて考えていたが、力を借りたいと言ったキルミスターの言葉を思い出した。命を奪われるようなことはないだろう。このままどこかへ運ばれた方が、荒野の真ん中で身動きが取れなくなるよりはましかもしれない。


 キルミスターがトラックを止めたのは海岸近くの、入り組んだ岩場に口を開けているどうくつの前だった。ミュッテンの地下室に運ばれた時と同じく、意識を失っていた時間があったので、カームからどれくらい離れたのか見当がつかなかった。しかし海岸ということは──ルーファウスは頭の中に地図を思い浮かべた──遠くても車で三、四時間だろう。怪我がなければ徒歩で移動するのも不可能ではない距離だ。

 キルミスターは銃を使って患者たちに指示を出した。そんなことをしなくても、患者たちに反乱を起こす気力はなさそうだった。ルーファウスは荷台で言葉を交わした女の力を借りてトラックから降りた。つえがなかったので、洞窟までは女の肩を借りた。

「お互い、元気になりましょうね」と女は言った。まったくその通りだとルーファウスは思った。


 洞窟は、入ってすぐに大きく落ち込んでいた。九十度に近い断層にかけられた五メートルほどのハシゴを苦労して下りると、ルーファウスは、むち打ちで痛む首を無理矢理ひねって上を見た。このハシゴを外されれば壁面を登ることは不可能だろう。全員が下に降りると、案の定、キルミスターはハシゴを引き上げてしまった。

「中は幾つかの通路に別れている。それぞれ、すぐに行き止まりになっている。気に入った行き止まりを見つけたら、そこを自分の部屋にするといい」

「治療はどうするんですか?」若い男が言った。

「呼ばれたらここへ来てくれ。悪いようにはしない」

 キルミスターは平然と答え、姿を消した。

 驚いたことに洞窟の中には人数分の簡易ベッドや、病院用らしい寝間着などが用意されていた。患者たちはそれを、それぞれの「気に入った行き止まり」へ運び、自分の寝床を確保した。

 ルーファウスは半ば習慣的に誰よりも奥を選んだ。やがて症状が軽そうな青年が食事──パンとチーズ、そして水を運んで回った。

「みんな、銃で脅されて連れてこられたのか?」とルーファウスは聞いた。

「いいや。おれたちはみんな子供の頃からキルミスターさんの患者さ。あの人はカームの町医者だからね。だから、この病気を治してやるって言われた時もいつもと同じように信じたし、おれと、あと何人かでこの病院へ荷物を運ぶのも手伝ったよ」

「病院?」

「ああ。おれたちは隔離される必要がある。町にいても、そのうち追い出されるって──」青年は一瞬困ったような顔をしてから続けた。「銃を使ったのは、あんたが逃げ出さないためだってさ」

「わたしも患者なのだが──信用がないな。ところで、ここはどこだ?」

「あんたには言うなと口止めされている」

 この滞在も、あまり楽しいことにはならなさそうだとルーファウスは思った。


 ある日、ルーファウスもキルミスターの治療を受けた。入り口近くの断層の下に診察室のつもりか、簡単な仕切りが作られていた。ルーファウスのギプスを交換するキルミスターの後ろに、あの、パンを運んできた青年が立っていた。銃を構えていた。

「先生。病気の治療は進んでいるのか?」

「もちろんだとも」

 しかし、キルミスターがちらりと青年の方を見たことをルーファウスは見逃さなかった。

「目的は、なんだ?」

「そりゃあ、あんた。わたしは医者だ。この世界からあの病気を無くしたい」

「それは──立派なことだ。だが、わたしを連れてきた目的は?」

「ジェノバ」

「なに?」

 ルーファウスは予期していなかった名前を聞いて思わず大声を出してしまう。

「患者と、かつて調べたソルジャーの身体──細胞レベルの話だが、幾つか類似点がある」

「詳しく聞かせてくれ」

 ルーファウスがそう言うと、キルミスターはまたちらりと青年の方を見た。

「そのうちな」

 それだけ言うとキルミスターは黙り込み、黙々と作業を続けた。

「ひとつだけ教えてくれ。うつるのか?」

「それも、そのうち」

 うつらないのだ、とルーファウスは思った。


 三ヵ月が過ぎた。肋骨を固定していたコルセットはすでにはずれており、ついに踵を覆っていたギプスがはずされた日、キルミスターはルーファウスに杖を渡した。

「神羅ビルのどこかに使われていたパイプだ」

「ミッドガルはどんな様子だ?」

「病気は相変わらずだ。患者は増えているかもしれないな。ああ、わたしが言っているのは東側に作られつつある新しい街の話だが。みんな熱心に働いている」

 ルーファウスはいつかミュッテンに話した計画を思い浮かべた。

「誰かが指揮をしているのか?」

「さあ。グループが幾つかあるようだが──ところで社長。神羅カンパニーの殺し屋の話は知っているか?」

 ルーファウスは首を横に振って先を促した。

「本社ビルや倉庫に忍び込んだ者のところに手紙が届くそうだ。もう一度やったら命はないという内容だ。皆、居場所を知られていることが怖くて、もう二度とやらない」

 タークスの連中め、とルーファウスは思わず微笑んだ。

「社長。もう少し先の話になるが、わたしは神羅が持っている機材が欲しい。殺し屋に話をつけてくれないか?」

「何が欲しいんだ」ルーファウスは警戒心を隠してさり気なく聞こえるように言った。

「宝条博士が使っていた各種装置」

「治療に使うんだろうな」

 キルミスターはニヤリと笑う。一瞬、宝条博士の不気味な笑顔が頭に浮かんだ。

「もちろん。それから、いつか話した例の──」

「ジェノバ」

「そう。今どこに?」

「さあな。ここから出られたら探しようもあるが──」

 キルミスターは値踏みするようにルーファウスを見る。

「では、新しい場所を見つけなくては。ここは研究に適しているとは言えない」

 研究──

「キルミスター先生。あなたは医者か? それとも科学者か?」

 沈黙。

「さあ、治療は終わりだ」

 キルミスターは白衣の下に隠していた銃をルーファウスに突きつけて言った。


 それからゆっくり時間をかけて、ルーファウスは歩行の練習をした。むち打ちのせいで時折具合が悪くなったが、やがて洞窟の中を自由に歩き回れるようになった。改めて、個々の「部屋」を覗いてみる。無人の部屋が幾つもあった。最初のうちに食事を運んでいた青年はすでに死んでいた。数えてみると、男は三人。女は二人。すでに四人死んでいることになる。

 ある部屋で、苦しげな呻き声をあげる女を見た。この洞窟へ来る時に言葉を交わした女だった。その女を心配そうに看病している男がいた。男はルーファウスに気づくと──

「薬が残り少ないから減らすって先生が──ぼくのぶんをあげたんですけど、もう切れちゃったみたいで」

 ルーファウスにできることは何もなさそうだった。いや──と、ルーファウスは断層の下へ行くとキルミスターを呼んだ。やがて、ゆううつそうな顔をした白衣の男が顔を出した。

「薬がないと聞いたが──」

「ああ。わたしが持っていたぶんは間もなくなくなる」

「持っていた?」

 この、初めて見る病気の治療薬を以前から持っていたという意味だろうか?

「ちょっと待っていてくれ」

 そう言って姿を消したキルミスターは、すぐに戻ってくると、ハシゴを降ろした。

「登ってこられるか?」

 ルーファウスは脱出のチャンスが来たのか、と考えを巡らせながらハシゴに手をかけた。慎重に登り、やがてもうすぐ断層の上に届くというところで、キルミスターの銃が突き付けられた。

「そこまでだ。そこで聞け」

 間近で見るキルミスターは青白い顔に汗を滲ませていた。

「具合が悪そうだな、先生」

「薬が欲しい」

「誰の薬だ」

「とりあえず、わたしのぶんが欲しい」

 キルミスターの説明によると、患者たちには、神羅が兵士に配っていた興奮剤を薄めたものを与えていたらしい。

「病気を消し去る効果はないが、痛みを抑えることができる」

「それが治療の正体か」

「患者を騙しているわけではない。まず原因を探る。それまでは対症療法しかない」

「先生も病気なのか?」

「いや──」

 希釈した興奮剤を飲むと夜も仕事ができるようになるのだ、とキルミスターは言った。

「ただし、中毒性があるな、あれは」

 ルーファウスはあきれると同時に、キルミスターをコントロールする手段を手に入れられるかもしれないとほくそ笑んだ。

「電話を持っているか? または、紙とペンを」

「誰に連絡を取るつもりだ」

「神羅の殺し屋だ。興奮剤のストックの場所を知っている」

 キルミスターは目を輝かせたが、それでも事を慎重に運ぼうと、ルーファウスにハシゴから降りるように命じた。しばらくしてから、紙とペンを上から放り投げてよこした。

 ルーファウスは手紙に、薬の調達を依頼する以外の余計なことは書かなかった。キルミスターの信用を得ることがもっとも重要だ。あとはタークスがうまくやってくれるだろう。


 しかし、手紙を持ってミッドガルへ行ったキルミスターは、なかなか帰ってこなかった。タークスも来ない。まとめて配られた食料も残り少なかった。キルミスターには、神羅ビルへ行き、殺し屋──タークスの連中を呼び出して手紙を渡すように伝えておいた。三日もあれば薬を持って戻ってくるはずだと予想していた。もちろん、医者を尾行したタークスも一緒に。しかし、かれこれ一週間が過ぎようとしている。

 ルーファウスはすっかり習慣になってしまった洞窟内の見回りで、有り余る時間をやり過ごしていた。あの女はかなり厳しい状態にあるらしく、意識も混濁しているようだった。女の面倒を見ていた男も痛みにうめいていたが、それでも女の手を握りしめ、奇跡が起こるのを待っていた。

「もうすぐ、キルミスターが戻るはずだ」

 ルーファウスは根拠の無い言葉を二人にかけてから思う。おれの中の何がそんなことを言わせたのだ、と。


 それは突然起こった。外で雨が降り続いていることには気づいていたが、洞窟の中にまで水が入ってくるとは思っていなかった。しかも、入り口ではなく、ルーファウスが自分の部屋として使っている場所の、天井部分から水が入り込んで来ている。無数の小穴が空いているらしく、たくさんの蛇口がついているかのように幾筋もの水が落ちてくる。これまでにも雨は降ったはずなのになぜ突然こんなことになったのだろうか。おそらく、この洞窟一帯が、降り続いた雨のせいで冠水してしまったのではないか、とルーファウスは考えた。とりあえず脱出しなくてはならない。ルーファウスは道々で声をかけながら洞窟の入り口へ向かった。

 まだあまり調子が良いとは言えない首を上に向けるが人の気配はない。ただ強い雨が降っている音が聞こえる。ルーファウスは周囲を見回す。奥からの浸水が、もし、この空間を満たすほどの量になれば──それまでなんとか泳いでいれば、あのだんがいの上へ移動できる。

「少なくとも、おれは──」

 ルーファウスは奥へ戻り、患者たちに避難の準備をするように告げて回った。この一週間、鎮痛剤代わりの興奮剤をもらっていない患者たちは、じっと苦痛に耐えているらしく、返事はない。

「五人か──」

 ルーファウスはそう呟くと、意を決して、一番奥の患者から入り口近くの空間へ運び出した。皆、哀れなほど体重が軽くなっていたので、体力に問題を抱えたルーファウスでもなんとか運ぶことができた。

 水はすでにくるぶしまで増えていた。ルーファウスは浮き輪代わりになりそうなものを探して回った。幾つかの木製のベッドが水に浮いて流れ出していた。組み立て式ベッドの金具をはずして解体し、木枠だけを入り口方向へ押し出す。水の流れに乗って、意外なほどのスピードで動きだした木片を追いかけ、患者たちのところへ戻る。

「泳げる者は泳げ。無理ならこれにつかまれ。一人一本だ」

 数時間後、水はルーファウスのあごのあたりまで増えていた。患者たちの中には、もう木片無しでは立っていられない者もいた。やれることはやった──ルーファウスは、もう何も考えまいとして断崖の上を見つめ続けた。やがてルーファウスも木片につかまって浮き上がった。さらに時間が過ぎ、あと一メートルも増水すれば断崖の上に手が届く、というところで状況が変わった。水が止まったらしい。雨がやんだのか、地形の問題か──ルーファウスは唇を噛んだ。もう助けを待つしかない。振り返ると患者が減っている。男二、女一。女は、あの女だった。二本まとめた木片に男と一緒に掴まっている。もう死んでいるのかもしれないと思った時、女の顔が苦痛にゆがんだ。ルーファウスはかほっとした。

 しかし、数時間が過ぎても状況は何も変わらなかった。水は増えも減りもしない。水に浸かった身体からは、すっかり体温が奪われているのがわかった。ルーファウスは、いよいよかと思った。

「なんだ?」

 ルーファウスは誰かに話しかけられたような気がした。しかし、そんな力が残っている者はもういない。注意深く周囲を観察すると、水面を何かがうごめいている気配がした。黒い物がゆっくりルーファウスに近づいてくる。患者から流れ出したあの粘液だろうかと目をらす。

 しかしそれは意志があるもののように移動していた。ルーファウスは恐怖を覚える。近づいてきた黒い液体を、身体の周囲の水を押しのけて、追い払おうとした。しかし、それは水流とは関係なく迫ってくる。やがて、ルーファウスに取りつき、着ていた白いスーツを黒く染めた。

 スーツはすでに汚れて白とは言えなかったが、いつでも脱出できるように、起きている間は着ることにしていた。黒く染まった袖口を見た時、ルーファウスは思った。

 ──もう、終わりだ。

 黒い液体が首筋をうように顔まで上ってくる。口に入り込もうとしているのがわかる。しかしルーファウスは固く口を閉じて拒否した。すると、今度は鼻だ。手で鼻をつまむ。これでは息ができないが、窒息した方がましだと思った。しかし、やがて耳に──ルーファウスは悲鳴だけはあげまい、と思ったまま意識を失った。


「社長、社長」

 誰かが呼ぶ声にルーファウスは目を覚ます。

「洪水とはまいったな。いや、遅くなった」

 キルミスターがハシゴを水中に降ろしながら言った。ルーファウスはまだ生きていたことを不思議に思いながら、ゆっくりとハシゴに掴まろうとして思い出す。振り返ると、患者は二本の木片に掴まっている男女だけになっていた。

「おい、大丈夫か」

 男が顔を上げた。

「助けが来たぞ」

 男はほうけたような顔でルーファウスを見て、やがて状況を理解した。慌てて女を見て声をかけた。女はかすかに頭を振って応える。ルーファウスは手を貸そうと女に手を伸ばした。その時、頭上から銃声が響いた。女ははじかれたように木片から離れ、静かに水中に沈んで行く。

「パメラ!」

 男はそう叫ぶと、木片を放し、女を追った。しかし、泳ぐ力は残っていないようだった。ルーファウスは木片を頼りに、男のそばへ移動し、腕を掴んだ。

「パメラ──」

 男は悲しげに叫ぶが、もう体力は残っていなかった。ルーファウスに腕を引かれるままにハシゴに近づいた。

「登れ」

「でも──」

「生き残ることだけを考えろ」

 男はしばらくパメラ──ルーファウスは女の名をそれまで知らなかったことに気づいた──が沈んで行ったあたりを見つめていたが、やがて顔を上げてキルミスターを睨み付けた。

「もうどうしようもなかった。楽にしてやったんだ。パメラもわたしを恨みはしないさ」

 パメラはともかく、この男はどうだろうなとルーファウスは思った。男は思い詰めた顔をしてハシゴを登り始めた。

「名前は?」

 ルーファウスは男に声をかける。

「ジャッド」

「ジャッド、今はダメだ。キルミスターはわたしにまかせろ」

 ジャッドは返事をせずにハシゴを登り切った。続いてルーファウスも登った。あと一段上れば懐かしい地上だと思った時、全身を激痛が襲った。口の端から何かが流れ出るのがわかった。

 手でそれをぬぐうと、パメラやジャッドと同じ、あの黒い粘液がついていた。

「おやおや、社長。あんたも興奮剤の世話にならなくちゃ」

 キルミスターはいかにも楽しそうに言った。

「うっ!」

 キルミスターのもんが上から聞こえ、続いて銃が落ちて水中に沈んで行った。ルーファウスは痛みに耐えながら顔を上げた。キルミスターの歪んだ顔が見える。後ろから誰かが首を絞めているのがわかる。ジャッドめ。今はダメだと言ったのに。

「く──」

 すぐにジャッドの苦悶に満ちた短い声が聞こえた。ルーファウスはあんのあまりハシゴに掴まった手の力が抜けるのをなんとかこらえながら、こんしんの力を振り絞って怒鳴った。

「遅い!」

「悪かったぞ、と」


 クリフ・リゾートは神羅カンパニーのれいめい期に社員用の保養所として開発された場所だった。しかし、人々は山中よりも海辺での休日を好んだので、いつしか廃れてしまっていた。幾つかのロッジが当時のままの状態で残っていた。二台の車両に分乗してルーファウス、ツォン、イリーナ、レノ、ルード、そしてキルミスターとジャッドが到着した時には、すでにそこには大勢の患者たちが集められていた。大部分はタークスがカームから運んだキルミスターの患者たちだった。不審そうにその様子を見ていたルーファウスにツォンが説明する。


 一週間ほど前、キルミスターが神羅ビルに現れ、大声でタークスを呼んだ。その時、見張りについていたのはレノとルードの二人だった。キルミスターはルーファウス神羅からの手紙を預かっていると言った。絶えて久しかった社長の情報が得られると、レノたちは隠れていた場所から出て、キルミスターと接触した。手紙には、興奮剤をあるだけこの医者に渡せ、と書いてあったが意味が分からず、さらに、本当にルーファウスが書いたものか疑わしかったので、翌日またここへ来るようにとキルミスターを帰した。そのままルードは伍番街の「オフィス」へツォンと相談するために戻り、レノはキルミスターを尾行した。

 ツォンは、手紙にあるのは社長の字とサインだと思ったが、確信は持てなかった。しかし、とりあえず興奮剤を渡して後を付けようという結論に達した。

 レノは、キルミスターを尾行してカームへ行った。カームには、かれこれ半年以上医者が不在で、避難民に解放されたままになっていた小さな病院があった。キルミスターはそこの医師だった。患者たちは医師の帰還を喜び、さっそく治療を求めた。レノが窓から覗くと、キルミスターは不機嫌そうに患者を診ていた。キルミスター自身も具合が良くないのだとレノは考えた。

 翌日、神羅ビルのエントランスホールに現れたキルミスターは、積み上げられた興奮剤の箱を確認すると蓋を破って開き、用意していた水筒の水で薄めて飲み始めた。唖然としているタークスを無視して床に座り込むと、薬が回るまで待てと言って横になってしまった。社長に繋がると思われる情報を持っている唯一の男だったので、タークスは辛抱強く待った。

 やがて顔色と機嫌を良くしたキルミスターは、箱をミッドガルの下まで運ぶようにタークスに依頼した。さらに──明らかに調子に乗って──どこか適当な施設は無いだろうかとツォンに聞いてきた。条件は、人里離れてはいるが、それほど遠くはなく、患者たちが大勢暮らせるところ。そんな場所で自分は病気の研究をして世の中に貢献したいのだ、とキルミスターは言った。さらに、自分は信用されていないと自覚したのか、キルミスターはルーファウスの様子を事細かに語り始めた。怪我を負った箇所を正確に言い当てたことでタークスはやっとキルミスターを信じた。さらに、ミュッテンの屋敷から連れ出して保護したのは自分であり、神羅カンパニーはその行為に感謝すべきであるとも言った。なぜこれまで黙っていたのかと聞くと、キルミスターは、社長を手なずけたかったと笑った。

 ツォンは、すぐにこのクリフ・リゾートのことを思い出し、キルミスターを案内した。医者は満足したらしく、ここに患者たちを運べと命じた。薬物中毒になるような医者に命令されるのは腹が立ったが、準備ができないと社長の居場所は教えない、とキルミスターは譲らず、従うしかなかった。タークスはカームとクリフ・リゾートを何往復もして、医者の希望を叶えてやった。まるで自分の部下のようにタークスを動かしたキルミスターは、やがて満足したのか、ついに、社長のもとへ案内すると言った。

 洞窟への到着がキルミスターより少し遅れたのは、降り続いた大雨と洪水のせいで、レノが、先行する医者のトラックを見失ったせいだった。案内無しで洞窟に辿り着いたのはおれのえた勘のおかげだと、失敗を帳消しにしてくれと言わんばかりにレノは主張した。


 ルーファウスは患者の一人としてクリフ・リゾートで過ごした。治療といっても、薄めた興奮剤を与えられるだけだったが、確かにそれで痛みは治まった。熱もなく、調子が良い時は、交代で付き従っているタークスの誰かから情報を仕入れ、今後の活動方針を検討した。

「新しい街の中心には何があるんだ?」

 ある日、ルーファウスは思い出したようにレノに訊ねた。

「うーん──広場だな。何もない丸い広場。ミッドガルからまっすぐ道路が延びて、その広場から四方八方に街が広がっている。だから、その広場が街の真ん中だ」

「では、広場の中心に何か造れ。そう、記念碑のようなものがいい」

「何の記念だ?」

「表向きは──星がメテオを撃退したことを記念して」

「表向きって、本当は?」

「場所取りだ」

「街の真ん中は神羅の場所ってことだな! それ最高だぞ、と」


 神羅カンパニーは相変わらず責任を問われてはいたが、資材や機材、燃料や薬品の提供を行っていたおかげで一定の信頼を得ていた。街の建設には元神羅カンパニー幹部のリーブがジュノンから運び込んだ作業機械や人員が大きく貢献していた。そのリーブは、反神羅路線を明確に打ち出していたが、タークスと、ヴェルドが集めた元社員たちの活動を、それが社会に貢献する活動である限り、邪魔しようとはしなかった。

 レノはボランティアの協力を得て、記念碑の建造を始めた。広場の中心に何かのシンボルが欲しいと思っていた人々は、喜んで作業に参加した。中には、その事業が神羅の計画であることを知って、騒ぐ者もいたが、そんな相手には、レノは「タークスらしいやり方」を用いて、問題を解決した。


 クリフ・リゾートでは、患者の増減はあったが、保養地らしい静かな日々が続いていた。しかしある日、騒動が持ち上がった。このペースで行けば、ほどなく興奮剤が底をつくとキルミスターが騒ぎだしたのだ。すっかり街になじんでいたイリーナが、街の患者たちにも薬を分けるべきだと提案し、ルーファウスがそれを許可したことで、倉庫の興奮剤はほとんど残っていなかった。ルーファウスは、タークスに命じて、薬学の知識を持っている者を集めて、興奮剤──名前を変える必要はあったが──を製造する準備を整えさせることにした。神羅の施設を活用し、必要であればリーブと連絡を取り合えばよいとも考えていた。しかし、キルミスターは納得しなかった。クリフ・リゾートで必要な分は先に確保すべきだと主張したのだ。この中毒者め、とツォンたちは呆れたが、ルーファウスは何故かキルミスターには寛大だった。興奮剤はニビ熊の尾が原料で、しかも、興奮剤ほど濃度が高くなければ、一頭の尾から、かなりの量を製造することができるとわかり、イリーナは早速、原料の調達に出かけていった。


「なあ、ルード」

 珍しく、レノが困惑した顔でルードに話しかけた。

「社長はどうしてキルミスターを甘やかすんだ?」

「研究の結果が出るのを待っている。おれはそう思う」

「研究かよ。痛み止めをばらまくだけなら、おれでもできるぞ」

 レノは吐き捨てるように言った。

「おれも細胞を提供した。健康な者代表だ。いつか何かわかるんだろう」

「おれも調べてもらいたいぞ。こんだけ患者に囲まれてるのになんでもない。変だろ?」

「うつらないと社長は言っていた」

 まだ半信半疑の顔をしているレノの腹をルードは軽く殴った。

「相棒、久しぶりにトレーニングをしないか?」

「なんで」

「心と体。両方がしっかりしていれば病気にはならない」

「じじくさいこと言うんじゃねえぞ、と」

 しかし、レノも応戦の構えを見せ、やがて二人のトレーニングが始まった。


 悪ガキども──年かさの患者たちはクリフ・リゾートで暮らすルーファウスとその取り巻きを総称して、そう呼んでいた。あいつらの結束の強さは、わけがわからないとある者は言った。

 このような状況でも、社長と部下という関係を崩さず、組織として行動する理由は、当人たちにもわかっていなかった。部外者からは、まるで会社ごっこをしている子供のようにも見えた。家に帰ってしまえば楽しいことなど何もないとでもいうように、あるいは、家のない子供のように、彼らは懸命に遊んでいるように見えた。


 あの日、運命の日から二年近くが過ぎた夜、ルーファウスはキルミスターの部屋を訪ねた。

「どうだろう、先生。そろそろ研究の成果を話してくれないか? わたしとしては、病気とジェノバの関係が最も気になるところだ」

「いいだろう。まず、治療方法に関しては二年前からまったく進歩していない」

 自家製の興奮剤で機嫌を良くしていたキルミスターは、まるでとっておきの冗談を聞かせるかのように言った。ルーファウスは表情ひとつ動かさずに聞いていた。

「しかし、病気の原因はだいたいわかっているぞ」

 まず、最初の患者はライフストリームを直接浴びた者だ、とキルミスターは言った。これは患者自身への聞き取り調査で早い段階でわかっていたことだ、と得意気に続ける。

「その後に発症した患者にも共通点がある。思い悩んでいたり、例えば死を受け入れようとしたり──社長、あんたにも身に覚えがあるだろう?」

 確かに、とルーファウスは思う。

「あんなことがあった後だからな、誰もが未来を思い悩み、死を身近に感じていたはずだ。それで患者が爆発的に増えた。さらに──」

 黒い水、とキルミスターが言った。ルーファウスは洞窟で体験した、洪水の時に漂っていた、意志を持った水のことを思い出す。

「後発組の患者の中には、黒く染まった水を見たものが多い。何も気づいていない者でも、もしかしたら、知らないうちに浴びたか、飲んだかした可能性が高いとわたしは思っている。何しろ相手は水だ。その気になれば、どこへでも入り込むことができる」

「その気になればとは?」

 ルーファウスはキルミスターの言い方が気になった。

「患者たちの痛みや熱は、身体が体内に入り込んだ異物と戦っている証拠だ。他の病気に比べると、かなり過剰だと思うが、相手が相手だから仕方がない」

「相手の正体はわかっているのか?」

「──セフィロス因子、あるいはジェノバの遺伝子、いや遺伝思念とでも呼ぶべきか──いつか話した通り、ソルジャーの心身に見られる特徴と、かなり似ている」

 ルーファウスは唐突に登場した──実際のところは、黒い水に囲まれた時に漠然と思い浮かべていた──セフィロスの名前に身を固くした。

「社長。わたしはジェノバを調べたい。あれはいったいどこにある?」

 ルーファウスの様子を気にすることもなくキルミスターが言った。

「残念ながら、わたしも所在を知らない」

「部下に探させてくれ」

「考えておく」

「早い決断を頼むよ」

 ルーファウスはうなずいて、部屋を出ようとキルミスターに背を向けた。相変わらず上機嫌なキルミスターはその背中に向かって声をかける。

「昔、わたしが出したプロジェクト案は宝条博士に却下されてね。あれを今になって試すことができるなんて、うずうずするよ。セフィロス以上のモノを作ることができると思うんだ」

「治療法は?」

 ルーファウスは背を向けたまま聞いた。

「すでに症状が出ている患者は諦めるしかないな。だが、まだ健康な者は、心に薄暗い部分を作らなければ大丈夫。公表してもいいが、水の話はするなよ。パニックが起こるぞ」

 患者であるルーファウスは何も言わずにキルミスターの部屋を出た。


 翌日の朝、キルミスターは死体で発見された。銃で撃たれていた。死体を調べていたツォンのもとに、ジャッドという若者が現れて、自分がやったと言った。

「銃はどこで手に入れたんだ?」

「言えません──口止めされたわけではありませんが、恩人なので」


 キルミスターとジャッドのことを報告したツォンに、ルーファウスは、そうかと答えただけだった。そして──

「ツォン、聞いてくれ」

「はい」

「神羅カンパニーはジェノバを見つけ出し、確保する」

「──はい」

「我々の目的は、ジェノバを誰にも渡さないことだ。狂った科学者や──」

 ルーファウスはキルミスターの言葉を思い出す。

「ライフストリームでうごめく亡霊にも」

「はい。早速準備を整えます」


 レノとルードがクリフ・リゾートの看板を塗り替えていた。

「ヒーリンってどんな意味だよ」

「世界をいやしてやるのだ」

 いつの間にか後ろに立っていたルーファウスの声に二人は振り返った。

「まあ、やり方は乱暴かもしれないが──我々は神羅カンパニーだ。多少のことでは誰も驚かないだろう」

 ルーファウスの声は何故か弾んでいた。